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あの世の話を聞かせて

ここ2ヶ月リモートなので毎日家で仕事をしている。毎朝起きてブラインドを上げて窓の外を見ると白と青の境目が濃くなっていっている。空は季節の切り替わりがよくわかる。いま春の入り口に立っている。今日は暖かかった。風がなびいて肌に触れた空気が柔らかかった。もう少し先に進むと夏になる。歳を重ねるたびにエネルギッシュだった夏は、エモーショナルに変わっていく。いつだって同じ日々はないはずなのに夏だけ思い出を残そうとしすぎた結果かもしれないね。好きな人に会ったのも夏だった。私は肌が黒くて、彼は髪が長かった。

マンションの上の階は散歩に行くのにも、ゴミ捨てにもエレベーターを待つ時間があって面倒臭い。でも空が近くて、それだけはとてもいい。窓の横にベッドを移したから眠る時には空に星とか月が見える。満月の時は光が家に差し込んでくる。去年、2020年の12月22前後。だんだんと近づいていく土星と木星が寄り添っていくのをベランダからよく眺めていた。みんなきっと同じ星をみていた。あれが世界をひっくり返すような力を持っているんだ。ってそう信じて、今も信じてて。今年幸運の星の木星が私の星座の水瓶座と出会った。私には早くも転機がきた。
昔、霊視をしてくてた人に「あなたは人間6回目で、遊びで人間になってて、まだ20%は宇宙人を残してる」と言われたけど、私は宇宙にシンパシーを感じることがよくあるから、あれもあながち本当なんだと思う。大きな手術中に受けた時に見ていた夢の中でも宇宙にいた。
真っ暗の宇宙空間で、ブラックジャックにお腹を切られて大泣きしていた。もうあの夢を見ることはなくなった。
1月、肩に月と流れ星のtattooを足した。久しぶりに体にインクをいれるのは痛かった。いつまでも若い体だと思っている、肌の張りがなくなっていく想像すらつかない。でもどうせ長生きしない。これはただの諦めと、それから運命の話。大抵悲しい顔される。グラスが割れるとか、水をこぼすとか、止まった電車にギリギリに乗らずに済んだとかそういう運命の流れ着く先。今日Instagramに「死にたくなったときどうしますか」ってDMがきた。考えてみれば生きることに執着がないから、死にたいっていう欲求もない。だって緩やかに死んでいってるのに、何をそんなに先走ることがあるの。見たこともない景色を見てからでも遅くないよ。一言のDMに対して、ずいぶんと長い言葉をかけてしまった。返事はまだない。というか、こういうDMは大抵返事がない。死なないでいてね。世界は歳を重ねるごとに甘い味がするよ。

おととしバリ島で親友と甘すぎるサテを食べながらそんな話をした。というか私たちは定期的にそんな話をしている。

「明日死んだらこれ最後の晩餐か」
「でも今日いい波だったしよかったよね」
「うん、そうだね」
「楽しいことありすぎて走馬灯流そう」
「やり残したことは?」
「いっぱいある」

その日スクーターに三人乗りして着いたクタビーチは一週間のバリ旅行の中で一番波がよかった。

後ろの席にいた6人組のオーストラリア人の大きな笑い声で私たちの声がかきけされる。添えられたキャベツにかかっていたオレンジ色のドレッシングはサテよりももっと甘かった。

明日死んでも化けて出ないよ、この世に未練なんて何もないもの。   

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月曜日、火曜日、水曜日、木曜日、金曜日、土曜日「また明日ね」とあなたが言うその通りに次の日もかかってくる電話のために生きてる。大袈裟でもなんでもなくて、恋っていうのはそういうものらしい。朝、目が覚めて「生きてる」と思う。ファジにおはようと挨拶をすると、くるりとお腹を見せてくれる。また今日もちゃんと目覚めた。愛に生かされて。今日も着信が鳴る。だだ漏れの愛を君は見てみぬふりをする。

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恋の話だけ。
それだけを記していく。
寂しさとか愛しさとか煮え切らなさが重なっていく。
愛してるの言葉は聞けない。
穏やかなままなら、さよならはまだ言わない。

集中して書くためのコーヒー代になって、ラブと共に私の体の一部になります。本当にありがとう。コメントをくれてもいいんだよ。