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水を「飲むこと」と「買うこと」ー消費社会の到来とミネラルウォーター

はじめに

わたしは水とコーヒー(ブラック)、そして、お酒(ビール、日本酒、ウイスキー、ワイン)があれば、幸せに生きていける自信があります。これらの飲み物はいずれも生活に不可欠であるとともに、好きなものです。

もともと、この note は「まちのこと」だけを書くものと考えていましたが、せっかくだから「好きなもの」についても、ジャンルを問わず書いてみようと思いました。手始めとして、今回は「水」について書いてみます。これまでと趣きが少々異なりますが、自分で調べて、考えて、文章を書きました。最後までお付き合いいただけると幸いです。

「ミネラルウォーター」とは何か

「クリスタルガイザー」(700ml)

先日、近くのコンビニで買ったのは、北米原産の「クリスタルガイザー(大塚製薬)」。水に関しては「軟らかい」と「硬い」の違い程度しかわからないわたしにとっては、軟水であること以上のこだわりはありません。「クリスタルガイザー」の魅力は、その優れたコスパにあります。コンビニでは、他に「い・ろ・は・す(コカ・コーラ)」や「サントリー天然水」がありましたが、いずれも550ml前後で108円(税抜)。また、最近、当たり前に見かけるようになったプライベートブランドの水は、600ml前後で100円(税抜)程度です。それに対して「クリスタルガイザー」は700mlで110円(税抜)。くわえて、この700mlというのが、1日で飲むにはちょうどよい量だったりします。

さて、ラベルの裏面にある名称を見ると「スプリングミネラルウォーター」と、聞き慣れない表記があります。これは日本人の多くに馴染みのある「ミネラルウォーター」と、何が異なるのでしょうか。

「スプリングミネラルウォーター」という標記

欧米において「ミネラルウォーター」は、その前提として非殺菌処理が求められます。殺菌してはならいない、つまり、地下水をそのままボトリングしたものでなければならないのです。日本における「ミネラルウォーター」の先駆者ともいえる「ボルビック(2020年までキリンビバレッジが販売)」や「エビアン(伊藤園)」、「ヴィッテル(2014年までポッカサッポロが販売)」などは、こうした意味の「ミネラルウォーター」です(最近は「ナチュラルミネラルウォーター」と表記することもあります)。ちなみにいま紹介した3つのブランドは、いずれもフランス原産の水です。

他方、地下水に何らかの殺菌処理を施しているものは、「スプリング(ミネラル)ウォーター」と表記されます。これは冒頭に紹介した「クリスタルガイザー」や「コストコの水」で有名な「ロクサーヌ」など、北米原産の水で多くみられます。

国産の「ナチュラルミネラルウォーター」は、
欧米では「スプリングミネラルウォーター」となる。
(写真は「箱根の森から」)

翻って、国産の飲料水は、原則として「殺菌処理」が義務付けられています。ただ、それでも成分調整を行っていない場合は「ミネラルウォーター」と名乗ることができるのです。もう少し言ってしまうと、そこに「ナチュラル」を加えても構いません。例えば「い・ろ・は・す」や「サントリー天然水」は、殺菌処理をしているにもかかわらず、いずれも名称は「ナチュラルミネラルウォーター」です。もちろん、法律に違反する話ではないのですが、欧米の基準に照らせば、これらは「スプリングウォーター」なのです。

なぜ日本人は水を買うようになったのか

ところで、しばしば水を買うことを不思議がられることがあります。そう思うのも無理はありません。日本には安全で安価な水、すなわち水道水が津々浦々に普及しているからです。ただ、そうはいっても水を買う人も一定数います。しかも、この数年の間で販売される水のラインナップはいっそう豊富となり、また、販売量も拡大傾向にあることを踏まえれば、水を買うことは、定着した消費行動のひとつであるといえます。

では、なぜ日本で「水を買うこと=ミネラルウォーター」は一般的になったのでしょう。まず、考えられるのは「安全性の担保」です。個人によって、安全性の基準は変わりますが、必要最低限な水準であれば、水道水でも十分確保できます。もちろん、それでは不十分と考える人もいますが、これはあくまで近年の潮流であって、後述するように、30年以上前、ミネラルウォーターが普及するきっかけとはなりませんでした。

それでは「健康志向の高まり」なのでしょうか。そうはいっても、冷静に考えれば、ミネラルウォーターから得られる「ミネラル」は、仮に(ミネラル成分が高いとされる)高硬度の水であったとしても、良くも悪くも身体に影響を与えるレヴェルには、到底、及びません。

これらの理由は、ミネラルウォーターが普及する過程において、およそ副次的な要因であって、結論を先取りすれば「水を買う」という消費行動の起源は「ファション」にあったのです。

もう少しだけ堅苦しくいえば、日本において「水を買うこと=ミネラルウォーター」は、1980年代以降、高度に発達した消費社会で生まれた文化のひとつであるといえます。安全性や健康志向といった(現在しばしば語られる)要因は、その後のさらなる普及過程、具体的には国産の「ミネラルウォーター」のシェア拡大を後押ししたものに過ぎません。

「ファッション」としての「ミネラルウォーター」

1993年、日本経済新聞が「エビアンミニボトルを革製ホルダーに入れて持ち歩く若者のファッション」を紹介しました。写真にあるような革製ホルダーに「エビアン」のミニボトルを入れて、首からぶら下げるスタイルが流行したそうです。いまの感覚から見れば、理解に苦しむ人も少なからずいるかもしれません。ただ、当時、確かに「エビアンミニボトル」はトレンドのひとつであったのです。

バブル期のトレンドのひとつ「エビアンミニボトル」

では、なぜそれは「エビアン」、外国の水だったのか。言い換えれば、国産の水ではなかったのはなぜなのでしょう。その理由を解き明かすには、日本におけるペットボトルの普及過程について、触れなければなりません。

ペットボトルの普及と「ミネラルウォーター」の進出

もともとペットボトルは、1967年、アメリカで炭酸飲料をボトリングするために生まれたものでした。その後、1977年、日本で使用が開始されます。意外なことに、当時は「しょうゆ容器」として利用されたようです。

ところで、今では当たり前となったペットボトルのリサイクル、いわゆるリサイクルペットボトルですが、この技術が全面導入されるには、容器包装リサイクル法が施行される1997年まで待たなければなりません。それまでの間、使い終わったペットボトルは、廃棄物として埋め立てられることで「最終処分」されていました。

話を戻します。水をはじめとした清涼飲料水用として、ペットボトルが使用できるようになったのは、1982年の食品衛生法の改正以降です。その後、1985年には酒類と、使用範囲が拡大していく一方、使用済みのペットボトルは一般家庭ごみの容量にして、最大で6割近くを占めるようになり、廃棄物の問題が深刻となりました。このような環境への悪影響を懸念して、日本の業界団体は(その手軽さゆえ、大量のごみを発生させる)500mlペットボトルの使用を1996年まで自主規制していました。重要なのは、この規制はあくまで日本企業が対象であったことです。


「ボルビック」のロゴ

日本で最初にヒットしたミネラルウォーターである「ボルビック(日本発売は1986年)」と「エビアン(日本発売は1987年)」は、いずれもフランス最大の食品メーカーであるダノンの商品です。したがって、当然、この自主規制に取り組む必要はありません。彼らにとって、日本の飲料水市場、なかでも日本企業が参入を控えている500ml前後のミニボトル市場はフロンティアでした。

ただ、日本で「水を売る」には、強敵が立ちはだかります。言うまでもなく「水道水」です。安全であり、安価でもあるという水道水に対して、「ボルビック」や「エビアン」は「海外のミネラルウォーターを手軽に、持ち運び可能な形で飲むこと」ができるスタイルを提示しました。そして、それが当時の若い人を中心にして「かっこいい」と、あるいは「おしゃれ」として徐々に浸透していくのです。

ここで強調したいのは、彼らは「飲むために」水を買ったわけではなく、「ファッションのために」水を買っていました。これは大きな転換です。生きるために水が必要であれば、水道水でいいのです。ここで水がファッションのアイコンのひとつとして、言い換えれば、それまで「必需品」であった水が「嗜好品」として成立するようになった。この背景には、1980年代以降の日本における消費社会の発達があります。

消費社会の発達と水を買うこと

消費社会とはなんでしょう。それは資本主義の発達過程のひとつと捉えることで、理解できます。しばらくの間、富を積み上げることは「悪」とされていたヨーロッパ社会において、それが「善」となったのは、プロテスタンティズムの登場にある。これはマックス・ウェーバーが「プロ倫」で展開した議論ですね。この段階の資本主義は「消費」より「生産」に軸足を置いてました。そこでは「生活を営むために必要なものを作り、それを人々に行き渡らせる」ことが重要とされ、そのために、作られる商品は、画一的(モデル)である必要がありました。いわゆる大量生産、大量供給ですね。そして、人々は懸命に働き、社会全体の生産力を強化することで、物的に裕福になり、多くの人が絶対的な貧困から脱することができたのです。

ところが、資本主義の発達に伴う生産力の強化により、絶対的に必要なもの、つまり必需品がある程度、社会に行き渡ると、人々は「消費」に軸足が移します。そこでは、差異や多様といった価値観に基づき商品が選択され、消費される。有り体にいえば「個々の好み」が尊重されるようになる。「自分の好きなものを、選んで、買うことができる社会」、それが消費社会の原点です。

こうした消費社会は、日本においては1970年代半ばに到来したと言われていますが、それが高度に発達するのは1980年代です。ちょうどバブル経済の到来とパラレルに、消費社会はその絶頂期を迎えるわけです。


「エビアン」のロゴ

話を水に戻しましょう。「ボルビック」や「エビアン」が日本に進出したのは、1980年代後半、すなわちバブル経済のときです。いまの感覚では、享楽的ともいえるほどの旺盛な消費が、ひとつのバブルを生んだ時代です。それは文字どおり、高度に発達した消費社会ともいえる状態です。

発売当時、「ボルビック」は250円、「エビアン」は230円だったそうです(ともに500ml前後のミニボトル)。これだけの金額でもあっても、水を消費する理由があったのです。

1996年、それまで日本企業が取り組んでいた500mlペットボトルの使用禁止という自主規制が撤廃されると、国内メーカーはこぞってこの市場に参入します。「六甲のおいしい水(現在の「アサヒ美味しい水」)」、「南アルプスの天然水(現在の「サントリー天然水」)」、「い・ろ・は・す」といったブランドですが、外国産の水とは異なり、これらの販売戦略は「安全性」と「健康志向」、そして「環境保護」でした。

バブル期を絶頂とした日本の消費社会は、その崩壊以降、徐々に多様な方向へと形を変えていきます。国内メーカーの販売戦略は、そうした新たな消費性向の出現と一致を見たのです。徐々に国産の水がシェアを拡大する一方で、「ヴィッテル」や「ボルビック」は日本市場から撤退をしていきました(現在は少ないながら輸入品が出回っています)。

おわりに

ここまで、日本において「水を飲むこと」から「買うこと」へと変化してきた過程を書いてきました。そして、そのターニングポイントが「ミネラルウォーター」の進出でありました。「水買うこと」がひとつの文化として成立するきっかけとなったのです。バブル崩壊後の消費社会は、いっそう多様なものとなりました。いまでは「必需品」と「嗜好品」との境は限りなく曖昧なものとなっています。とはいえ、ある時代において、水は確かにファションとして成立していたのです。そうした歴史に思いを馳せるとき、水を飲むこと、そして買うことに新たな魅力が見えた気がするのです。

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