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田舎暮らしするって言うけど収入源は?

"田舎暮らしいいなー"

”都会暮らしを辞めて移住したい"


とは言え、家族がいる。

子どもの養育費や
老後の備えだって必要だ。

今の会社を辞めても
生計を立てられるなら
今すぐにでも移住したい。

そう思う人は多いと思います。

僕も半年前まで
そうでしたので。

結果的に今、
僕は家族4人で移住して

新たなお仕事と出逢い、
知り合いもいない新しい土地で

サラリーマンから
自営業という立場に変わろうとする
タイミングを迎えています。

今回は天職と出逢えたきっかけや
移住しようと思った動機などについて
文字起こししようと思っています。

過去の記事でも書いているのですが

僕の場合、
移住先も仕事も決まってない中で

先に「移住する」ということだけを決めて
会社を辞め、

結果的に退職して3か月後に

自分にとって
新しい天職とも言える仕事に
出逢うことができました。

真っすぐな"想い"さえあれば
必要な物事は後から付いて来るんだと、
今は強く思っています。

こうやって文字起こししてると

自分の書いていることって
なんか意識高い系の
スーツ着た起業家みたいな人が
ウエーイみたいな感じで
"夢は諦めないでください!"

みたいなことを言ってるのと
同じなのかな、なんて思ってしまうのと同時に

そんな意識高い系の人を
冷めた目で見ていた自分を思い出しました。

だからこそ、
そのような冷めた目で見ている人に
この"想い"がどのようにしたら
届くのか、僕はぐるぐると思考を巡らせています。

そして、今回の記事を
書く目的の二つ目。

実は、今回の記事は
僕がサラリーマン時代の2019年8月に
Twitterで出逢った方、(以下、Hさん)に
約4年の歳月を経て、先日、漫画を描かせて欲しい、と
言ってもらえたことがきっかけです。

当時、お互いサラリーマン。

ざっくりとしたなりたい姿などは
お互いにあるものの、会社員生活を送る日々。

月1回ペースでビジネスのことや
社会のこと、経済のこと、宇宙のこと、
アートなどなど分野を問わず、夜通し、
電話をしていたような関係です。

ちなみに直接会ったことないんですから、
これまた不思議ですよね。

「ご縁」という言葉に
不思議な力を感じずにはいられません。

そんな裏話もありながら
ここで、その漫画になる原作を
このnoteに記しておこうと思います。

ちなみにHさんは、今も会社員です。
会社員の傍ら、時間を作って、漫画を描かれています。

僕はこの漫画が、これから先、
何かおもしろいことを引き起こしてくれるだろう、と
疑わずにはいられません。

だからこそ、このnoteが書けるんです。

移住して間もないタイミング。

家の中は、まだまだグチャグチャだし
なんなら、床だって穴が開いてこの6月の季節でさえ、
寒いんです苦笑。

新しい事業の方も
活動していきたい。

やりたいこと、やることはいっぱいだし、
もちろん、その時間を使うためには
家族の理解だっている。

そのような状況下でさえ、家族は信じてくれ、
時間を捻出してくれて、このnoteが書けるんです。

それだけ、みんながこの原作に可能性を感じている。
漫画としての可能性を感じているんです。

大半の人は
何か結果が起こってから
後から「すごいね」なんて言う。

"けろすけさんだから出来たんですよね"
何て簡単に言う。

そう言う割には
「今」このnoteを執筆する活動については

"無名のサラリーマン漫画家に対して
こんなに時間を使って・・・"とか

思っている。(2023年6月の今は)

わかっているんですよ。
それくらい。

モノが溢れ過ぎた時代、
漫画や音楽などコンピューターに置き換わる時代、

これからは大事になってくるのは
人間としての"想い"や"感情"、その"何か"が生まれる際に
きっかけとなる物語だと思っています。

僕もど素人で
ブログなんて趣味程度ですが
漫画になる原作をここに文字起こししておきます。

Hさん、これから始まるドラマを共に創っていけることを
心より感謝しています。

2023年6月吉日

田舎で生きる仕事と"想い"

田舎で生きれる仕事との出逢い


"これや・・。 ほんとにすごい。。"

整体とかエステとか
マッサージなど全く縁のなかった僕が
初めて受けた施術。

「近藤式内臓機能回復法」

たまたま友人が
その施術のモニターを募集していて

その友人を応援するつもりで受けた。
別に興味があったわけではない。

そもそも
「近藤式内臓機能回復法」なんて
聞いたこともない。


洋服の上からお腹を押す。

施術と言っても、ほんとにそれだけ。

施術が終わった後、一気に身体が軽くなっていた。

姿勢は激変してきれいになったし、
視界は開け、気持ちも明るくなった。

ほんとに見える世界が変わった。

施術してくれた友人Yちゃんに言った。

「近藤先生の施術、受けれないかな?」

ここでも、また奇跡で起こる。

普段は東京にいるらしいのだが、
たまたま今は僕の地元、愛媛にいるらしい。

しかも、車で20分くらいのところに。


僕は早速、近藤先生の施術を翌日に予約した。

そして
翌日、近藤先生のところへ。

施術を受けるということを理由に
アポを取っていたが

僕の中では既に
先生の下で、この施術を教えてもらいたかったので

札束でパンパンに膨れ上がった財布も
用意していた。

"昨日のYちゃんと同じ流れやなー"

そう思いながら
体や心に関するカウンセリングが始まり、

施術前の姿勢チェックや
写真撮影も行われていった。


誘導されるがままに
ベッドでお腹を押されている自分。

腎臓とか
肝臓とか

軽く服の上から押されているだけなのに
すんごい痛い。。

まだ汗が出るような季節でもないのに

気付けば汗がドバドバと顔から流れていた。

手足も軽く痺れていた。

心臓もバクバクする。

"なんや、これは。。"

昨日、Yちゃんの施術で
もう受講したいって思えるくらいの
衝撃をもらったのに

また、その衝撃を更新する
施術後の身体の異常な変化。


"近藤先生、僕も受講させてください"


そうお願いしたのは
会社を退職して3か月後。

とりあえず
移住先の住まいだけ
決まっている段階の春が芽吹こうとしている
2023年3月上旬のときだった。

会社を辞める動機

石橋を叩いて渡るような僕が
もちろん、会社を辞める、なんて
いきなり言う訳がない。

そのように思うようになったのは
2020年から始まったコロナが大きなきっかけだった。

アルコールによる効いているのか
効いていないか、よくわからない手指消毒。

そもそもウイルスなど通過してしまう
効果のないマスク着用の強要。

ソーシャルディスタンスという新しい言葉と共に
日常では当たり前になったアクリルの仕切り板。

ここらへん、挙げ出すと本当にきりがない。


"おかしい。絶対におかしい・・・"


以前、年金2000万円問題や
終身雇用制度の崩壊など

ニュースで取り出たされていた頃、
将来が不安で不安で仕方なくなった僕は

ネットワークビジネスにも
手を付けていたこともあり、

そのときのアカウントや
繋がりを伝手に情報収集をした。

もちろん、その情報収集先は
よく言われるTVや新聞、大手メディアではない。

個人発信者や非営利法人など
世間で主体とされている情報元とは
真逆の位置するくらいの立ち位置の方々だ。

でも、なぜか、その方々たちの情報や
内容の方がしっくりくる。

つじつまが合う。

そして、そのつじつまが合う情報というものは
一般的なニュースとはかけ離れたことも伝えている。

ただ、自分にとって
もはや「一般的」と言われているものが

資本主義社会で生きる上で
お金を持っているごく僅かな人たちによって

コントロールされているんだろう、という
確信たるものに変わっていった。

医療、教育、エネルギー、歴史・・・

生活をする上、後世に伝えていく上で
とても大事なこと。

これらが誰かによって
都合のいい世界に変えられているんだ。

そのように確信できる頃には
既にサラリーマンという立場でありながら

既に周囲の環境は大きく変わっていた。

ガンを治すことができる治療を
命を懸けて全国に広めようとするお医者さんの団体の理事、

吉本〇業で上方漫才大賞も獲ったことのある
元お笑い芸人、

子どもの未来を本気で考えるNPO法人の理事などなど

サラリーマンの立場でありながら
僕は繋がることができ、一緒にご飯を食べたり、

何なら、結婚保証人として
サインまで書かせてもらうこともあった。


本当の意味で
今の社会がおかしいとか、
よいよい社会を築いていきたい、とか
想っている人は

立場や肩書など越えて
繋がっている。

こういう人たちは
会社勤めの人のように

肩書や略歴で人を判断したりしない。

結局、その人自身が、どのような"考え"や"想い"で
社会を見て、自分がどうありたいか、

そんなことを見ている。


これは嘘じゃない。

だって、僕自身、サラリーマンのときに
そのようなTVにも出てたような人や
大きな組織の元重役だったような人と

プライベートで会うような関係になったのだから。


このように人間関係が変わっていくということは
当然、日常生活も、今までの淡々とした
サラリーマン生活ではなくなってくる。


土日は家族で何かのイベントに顔を出したり、
誰かと会ったり、

会社がある平日も
さっさと仕事は切り上げ、

ネットで繋がっている
全国の同志たちとZOOMや
色んな情報交換のやり取りが当たり前の日常になってくる。


そうなってくると
ますます会社生活とプライベートの
ギャップにも悩まされてくる。

話が盛り上がり過ぎて
夜遅くまでZOOMが続き、

結局、寝るか寝ないで
そのまま出勤するか、迷っていると
朝になり、アドレナリンが出まくった
無駄に目が覚醒しているハイな状態で
そのまま出勤。

さっきまでの空気感と

会社での重い雰囲気とのギャップに
自身の脳みその切り替えに悩む日々。


"けろすけさん、さっきの話聞いていましたか?"

"けろすけさん、ここ数字が間違っていますよ!"

仕事でもミスが連発してくる。

それも当然だ。

単純に寝不足だったり、
思考が完全にプライベートの方に
引っ張られるのもある。

でもそれ以上に
もう会社でやっている業務すら

ほとんどが無駄に見えてくる。

怒られないためにやる
体裁のための業務が目につくようになってしまうのだ。

"一体、自分は何のためのこの仕事をやっているのだろうか"

"生活のため、だと思っていたが、社会のために何の役に立っているのだろう?"

既に会社という枠を越え、色んな業界の人と
接点を持っていた自分は、社会のことに
興味を持つようになっていた。


考えれば、考えるほど、答えが出ない。
どんどん思考に渦にはまっていく。

苦しい。
本当は苦しい。
でも、生活のためだ。
家族のためだ。

自分には
こうやって言い聞かせていた。


そんな日常生活を送る
ある夏の夜のことだった。


いつものように晩ご飯を食べているとき、
妻がいきなり、僕に言ってきた。

"会社辞めて移住する 笑?"

ビックリし過ぎたが
2回聞くようなことは不思議となかった。

自分の中で、会社を辞めたい、という想いが
妻には伝わってしまっていたのかもしれない。

そして続けて妻は言う。

"ちょうど、こうき(長男)も来年は小学校でしょ。
でも、近所の小学校に通わせたいとか、
全く思わないしねー"

僕は一気に心が軽くなった。


そして
この言葉を妻の口から聞いた瞬間、

僕の頭の中は一気に
「会社を辞めた後のけろすけ一家の笑顔溢れる姿」しか
浮かぶものはなかった。

会社を辞めると決めてからの三か月間

妻の一言から
家族の動きは一気に変わった。

家族の流れは
母親で決まるというが
ほんとにその通りだった。

妻はオルタナティブ教育を
実践されている小学校を調べ始め、

僕は会社の上司に辞める旨を伝え、

来年、小学校に上がる長男も
自分なりに、どのような小学校、住まいに住みたいのか

僕たち親に話すようにようになり、
家族として思い描く将来の姿について
色んなことを話す時間が増えていった。


仕事の方では上司やチーム員が
ザワザワと動き始め、引継ぎ業務が水面下で行われ始める。

自分は会社を辞める旨を
関係者以外の人には話していなかったのだが
噂は早い。

他のチームや他地区の人からも
そんな聞かれた。

"えっ、会社辞めるの?"

"その後の仕事とかどうするんですか?"

僕には全く聞く耳がない。
と言うか、見ている視点がまるで違う。

いいとか、悪いとかではなくって
自分の世界にいるだけの話。

新卒から約16年務めた会社生活を送る中で
何人もの退職者を見送ってきたが

よく仕事が出来るなー、なんて思われていた人ほど
抜けていった現状と、そのような人ほど、会社を辞める理由や
次のことを話したりしなかったが、

その理由が今ならわかる。

それは単純に
"話しても全く伝わらないから”だ。

そんな時間、労力を使うなら
プラスの時間に使いたい、そんな風に感じるからだ。

そんな状態での会社員としての週末は、というと

妻がネットで調べた全国の小学校のところへ
見学に行かせてもらうスタイル。

色んな園長先生や理事、その地域で
教育を支える関係者と話をする中で

家族4人の価値観が
またどんどん価値観が更新されていった。

そしてあっと言う間に
会社を辞めると決めてから3か月間は
怒涛のように過ぎていった。


「会社員」という肩書がなくなって

一言で表現するなら
"めっちゃ清々しい”

もう解放感しかなかった。

数年前の自分なら
絶対に、そんな気持ちよりも
先に"不安"が来ていた。

"次の仕事どうしよ"

"周囲の目が。近所が。親が。親戚が。"


でも今は違う。

具体的に何も決まっていなくてもこれだけは言える。

"家族としての幸せな方向性は絶対に合っている"

"今の社会や政治の動き、これからの未来を考えると
間違いない・・。"

絶対的な自信があった。


会社員という肩書がなくなって
健康保険や年金のこと、

自分で手続きをするようになって改めて感じる
会社という組織の中でしかなかった自分。

守られているという見方もできれば
逆に、依存し、思考が停止している状態とも言える。

”毎日、今日何しようかなー"

で始まる日々。

妻も何も言わない。

妻が何も言わないからこそ、
この時間を楽しめる。

息子たちの幼稚園送迎。

子どもを送り出したあとの家の掃除。

朝の散歩。

時間を気にせずに妻と飲む、
朝の珈琲タイム。

何かを取り返している感覚、
忘れていた何かを巻き戻そうとしている感覚だった。

別にどの時間も
会社員時代でもやろうと思えば、
休日にできることだってある。

でも、出来なかった。

目に見える世界、
体験する世界は

自分が選んでいるんだと
強く感じる。


穏やかな日々が続く。
会社員生活が、もう何年も前のような感覚になっていた。


そして、またこんな穏やかな日々にも
当然、節目はやってくる。


唯一気になる不安

こうやって書くと
いかにも全く不安がないように思われるかもしれない。

しかし、それは違う。

不安はある。

もちろん、「お金」だって怖い。

でも、退職を決めてからの
不安は「お金」ではない。


それは「両家の親」に対してだ。


僕の親も妻の親も
俗に言われる安定したホワイト企業と
言われる会社一筋の人間だ。

学校を卒業して
新卒で入社した会社を辞めず、

40年以上、勤め上げた。


そのような親。

結局、両家の親に
会社を辞める、とか

辞めた、とか

そんなこと、口が裂けて言えないし

もし、仮に言おうものなら
どんなになるのか、僕も妻も全く理解できないでいた。


そして、
そうようなものに蓋をしながら
会社を退職。

正月など帰省した際には
嘘を嘘で塗り固めていく始末。


"会社の方もコロナの影響でリモートワークになった"

自分の中で意味のわからない予防線を張る始末。

もちろん、後ろめたさはあったが
それよりも辞めたことを知られた後の

親へ与える不安、心配。

こっちのリスクの方が大きいと
妻と思っていた。


リモートワークということなら
会社を辞めて自宅にいても

どこにいても
とりあえず、何でも仕事中、なんて
言い逃れできるかな、なんて安易に考えていたのだ。


でも、そんな嘘も
想像以上に長くは続かなかった。


それは会社を辞めて2か月。


とりあえず長男の小学校入学に合わせ、
移住の日にちと地域だけ決めたものの、

家も小学校も次男の幼稚園も決まっていないのだ。


"さすがに「流れを任せる」とか言いながらも
決めないとまずい。。"


色んな想いがよぎる中、
息子2人を親の実家に預け、


3泊4日で妻と物件を探すためだけの
旅程を組むことにした。


来年、小学校に上がる長男は
大人の空気というものも読めるようになってきた。


そう思っていた。


長男には申し訳ないと思いながらも
親には

「4月からの転勤で住まいを見つけるために行く」

という口裏合わせをして・・。

結婚至上、最大の修羅場を迎えて


もう日にちがなかった。

色んな意味で・・


2か月前に控えた移住。
にも関わらず、住むところは決まってないし、

また息子たちにも嘘を貫き通させる罪悪感。

4日間が限界だった。


なんだかんだ、色々あったが
色んなご縁により、

奇跡的にも
好みの古民家を4日間で見つけることができた。


でも、当然、そのしわ寄せは
予想外にも早くやってきた。


引越し先も決まり、
長男の入学準備、

今までお世話になった方々へのお礼や
送別会を連日開いてもらいながら

慌しい気持ちと名残惜しい気持ちが
入り乱れる中、親から着信が入った。


「親に隠していることはないか?」


いきなりかかってきた電話に出たときの
父親からの一言目だった。


自分自身、嘘を貫くことには
抵抗もあり、限界もあったので


何か、その一言を聞いたとき、
安心感というか、不思議な感覚になっていた。


その横で動揺、焦りを隠せない妻。

「なんで、バレるようなことになったの?」

「そもそも親に勘づかれるような写真を送っていたからなんじゃないの!?」


妻は僕に対して、かなり怒っていた。


でも、僕は至って冷静だった。

「いつかバレるでしょ。そのタイミングが少し早かっただけや」


別に開き直ったわけでも何でもない。

本当に心からそう思っていた。

そして、流れは急展開。


妻の実家で、僕が両家の親4人に
今までの状況を説明することになった。


迎えた当日。

昨晩から妻は落ち着かない、
寝付けない状況だったようだが

僕は普段とあまり変わった感じはなかった。

「・・・大丈夫?」

妻の実家に車で向かう約1時間半の道中、
妻は、僕に気遣って何度も聞いてきた。


そして迎えた両家親への説明。


両家の親が集まるなんて
6年前の長男のお食い初め振りだろうか・・。


異様な雰囲気。


誰が仕切り始めるのかわからない状況。

6歳の長男も妙に異様な空気を読みながら
僕の横に座る妻に無駄に話しかけてきたりする。


母親同士が場を持たせるために

どうでもいい会話をしているが
それがまた余計に異様な雰囲気を助長する。


そんな状況下、
スタートを切ったのは義理の父だった。


「じゃ、経緯を話してもらおうか」

気持ちを隠そうとする
お父さんも

眉間のシワなど、
隠そうとしても隠し切れない表情が
その空間にいる親族全員に伝わっていた。


僕は嘘をついていたことに関しては
申し訳ないという気持ちがある一方で

会社を辞めたこと、
移住することに関しては

家族みんなで前向きに決めたことだし
全く悪気はなかったので

謝る感じではなく、
むしろ開き直るような感じで

口を開いていった。


とりあえず喋ること、5分くらい。

辞めた経緯、
辞めるまでに至った動機、
これからのこと、
これからの住まい、
学校のこと、
将来のこと、

話すだけ話した。


話している中、
僕の一番遠い席に座る
斜め右父はずっと目をつぶり、
下を向いたままだった。


それからは義理の父親、
義理の母親、母からは質問の嵐が続いた。


「それでご飯は食べていけるのか?」

「将来、子ども達は大丈夫なのか?」

「移住先はどんなところなのか?」


親が代わるがわる自分に質問していく状況を
俯瞰しながら

取り調べ、訊問と言う言葉と
その状況を照らし合わせていた。

答えれば答えるほど、
質問の数が増えていく感じで終わりが
全く見えなかった。


質問・応答の時間が1時間以上。

いつまで続くのか、わからない状況下、
節目を迎えたのは

義理の父親の

「もう信用ができない!!」


の一言だった。


「終わった」
僕は思った。

終わったってのは
別に親との関係が終わった、とかそんな意味ではない。


この出口のない
話し合いの時間が終わった、という意味だ。


親が義理の親の家から出るのを見送り、
僕たち家族4人も、その後、義理の親の家を
そのまま出ることになった。

帰りの車内、
助手席に座る妻から一言。

「お疲れさま」


その表情には安堵感が伺えた。

子どもも何事もなかったように
昼ご飯はどうするのか?ばかり、

後部座席から
ワンワン言ってきていた。








引越しとこれからの想い


思わぬ展開で
唯一の不安要素だった
「親への隠し事」が解消され、
僕はすっきりしていた。


新しい家族として妻を迎え入れ、
家族と7年間過ごした家。


家の中の荷物が
どんどん段ボールに詰められていき、
思い出も整理されていく。


それと同時に新たな想いが
どんどん膨れ上がる。




"施術を通して自然治癒力の可能性を感じてもらい、医療の医療の常識をひっくり返したい"



"多くのお金が集まる医療業界において
もっと分散できるような社会を創りたい"



僕の頭は既に移住先の暮らしで頭がいっぱいだった。


完成
































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