三題噺(木の実 黄泉の国 幻燈)

金目のもんなんかないぞ。おじいちゃんのおじいちゃんが随分な道楽モンでな、その代でなーんも無くなったからな。
祖父は事あるごとに笑いながら私にそう話していた。
とはいえ、栄華を極めていた頃と比べると見劣りするのだろうが、それでも祖父母の家は十分豪邸と言って良いものだった。
そんな広い広い祖父母の家の、やっぱり広い屋根裏部屋は、子供だった私にとって、怪しげな魅力をたたえた絶好の遊び場だった。
屋根裏部屋に続く階段は2階の廊下の奥の奥、廊下を突き当たって折れた少し先にあったものだから、廊下の灯りもまともに届かず、いつでも周囲より一段暗かった。
昼こそ屋根裏部屋の天窓から頼りないながらも光が入り、かろうじて屋根の形に傾斜した天井を階下からうかがい知ることができたが、日が沈むと様子が一変し、階段と屋根裏部屋は完全な闇に包まれた。
階上の様子は杳として見通すことなどできるはずもなく、夜にそこに立ち、闇に向けて目を凝らしていると、決まって、何かが覗き返しているような、私が来るのを手ぐすね引いて待ち構えているような気がしたものだった。
そこで無性に恐ろしくなり、1階に駆け下りてリビングでくつろぐ祖父母のどちらかに飛びつくことも日常茶飯事だったが、3段目付近にあるスイッチを入れるだけの勇気があれば、暗闇との戦いに勝利し、宝の山への道を切り開くことができた。
蛍光灯に照らされ、屋根裏部屋の天井がはっきり見えるようになったことに安堵しつつ、一段一段がいささか高い階段を半ば四つん這いになりながら、スイッチを押した3段目からさらに15段。
屋根裏部屋は夏は暑く冬は寒く、そして一年中埃っぽかった。
だだっ広い空間いっぱいにガラクタが積まれている、というようなことはなく、階段のある屋根裏部屋の中央付近は、折りたたみ式の机や、埃をかぶった時代遅れのトレーニング器具などが少し置かれているきりの広い空間になっており、雑多なものは、部屋の壁際に寄せて、祖父母たちによる何らかのゆるい規則性によって分類、整理されて収納されていた。
古びたおもちゃや子供には意味のわからない書類の収められたファイル、アンティーク調の家具、今では見ない型の家電やガラスケースに入った人形など、屋根裏部屋にあるものはどれも子供の私には珍しく映り、いつしか屋根裏部屋の探検が祖父母の家での私の大きな楽しみの一つになったのだった。

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その日の午後も、私はいつものように屋根裏部屋を探索していた。小学四年生の夏休みの数日間、私は一人で祖父母の家に遊びに来ていたのである。
階段を出て右後方、棚が何列も並ぶ迷路のように入り組んだ一角で、何かめぼしいものがないか物色していた私の目に、一風変わった物が飛び込んできた。
それは大小の木製の箱が2つ組み合わさったような形をしていた。大きい箱の上面には穴が空いており、そこから何やら煤まみれのガラスの管のようなものが突き出している。背面は黒い布で覆われており、布をめくると、上面から突き出ていたガラス管の下部があらわになった。ガラス管の下部は少し膨らんでおりやはり煤だらけだ。金属製の底に何やら蓋のついた注ぎ口のようなものがついている。ガラス管の中には底から何やら短い紐のようなものが突き出ているのが見える。
小さい方の箱の前面にも黒い布がかけられていた。それをめくり上げると、レンズがはめられた丸い穴が姿を現した。

「じいちゃーん。」
1階に戻った私はリビングに入るなり大声で祖父を呼んだ。
「おおう。ハイハイ、どうした?」
リビングのテーブルについて新聞を読んでいた祖父は、唐突に呼びつけられたことに少しびっくりした様子でこちらを見た。
「屋根裏で変なの見つけた。あれ何?」
「変なのとだけ言われてもわからん。」
「うーん、なんか木でできてて、箱で、穴が空いてて…」
「わからんなあ。」
「じゃあついてきてよ。」
「ハイハイ。」
そうやって祖父を強引に呼びつけると、私はさっさと屋根裏に向かって駆け出した。
「じいちゃん遅い。」
「ああ、疲れた。じいちゃん年寄りだから勘弁してくれ。…おーい、どこだ?」
「こっち。」
祖父は声を頼りに私がいる方に近づき、程なく私を見つけた。
「ああ、いたいた。」
「これ。さっき言ったやつ。何?これ。」
「あー。こりゃあ幻燈機だ。」
「ゲントウキ?」
「そう。じいちゃんも昔じいちゃんのじいちゃんに何回か見せてもらったな。映画というか、紙芝居というか。」
「へー。」
「見てみるか?」
「うん。」
「じゃあ準備するから少し待っといてな。まだ使えるといいけども。」
その後、祖父は階段を降りていった。
しばらくして雑巾と灯油を少し入れた瓶、それと消化器を持ってきた祖父は、幻燈機から突き出ていたガラス管、つまりはランプの掃除と燃料の用意を手早く済ませ、周囲を見回し始めた。
「ああ、あそこがいいな」
そう言うと、祖父は棚の埃除けに白い布がかけられた大きなタンスを指差した。
「これは暗い場所で使うもんだから夕飯の後に見せてやろうな。天窓から少しだけ」
タンスの手前まで手頃な机を運び、幻燈機をその上に、幻燈機のそばにしまわれていた、何やらカチャカチャと音のする箱を幻燈機のすぐそばに、さらに消化器を少し離れた場所に置いて、祖父はそう言った。

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夕食は祖母特製の天ざるだった。
えびとレンコンが多めにあるのは、私の好物だからである。より正確にいうと、私が幼稚園の頃にそれらを好んでいたことを祖母が覚えているから、である。
小学四年生だった当時も好物の部類ではあったが、とうに一番の座からは退いていた。
ともあれ、祖母が腕を振るった食事はとても美味しかった。
「こんな豪勢な食事、二人の時は絶対に作らんな。」
祖父も祖母にそんな憎まれ口を叩きながら、うまそうに天ぷらを口に運んでいた。

「じゃあ、試してみるか。」
私が食事を終え、一休みをしていると、祖父が言った。手には大きな懐中電灯が握られている。
「うん。」
「母さん、ちょっと二人で屋根裏行ってくるから。先に寝ててくれ。」
「はあい。」
リビングから廊下に出て、二階への階段を登る。
二階の廊下を突き当たりまで進み、右に折れると、いつものように真っ暗な階段が現れた。
「ああ、待て待て。電気はつけたらいかんぞ。ここにしかスイッチないからな。」
いつものように階段を数段登り、スイッチに手を伸ばした私を祖父が制止した。
「足元に気をつけてな。」
祖父は私の足元に懐中電灯の光を投げかけて言った。

生まれて初めて、屋根裏部屋の暗闇を暗闇のままに、4段目に足をかけた。
1段、また1段と登っていく。祖父の懐中電灯は足元ばかりを照らし、私が見つめる先の闇を振り払ってはくれない。
暗闇の中に何かが潜んでいる気がする。普段は蛍光灯の光にたやすくかき消されていた、いつも私の様子を伺っていた奴らだ。
ずっと狙っていた獲物がついに自分たちの領域に足を踏み入れたことに、音もなく狂喜している彼らの姿が頭に浮かんだ。
首筋で脈打つ血管の音が、1段、また1段と登っていくたびに大きくなっていく。
それでも逃げ出さずに済んだのは、祖父がいてくれたことと、祖父の懐中電灯が頼りないながらも私の周囲を照らしてくれていたことのおかげだった。頼りない光でも、この光に包まれている限り、奴らは近づいてこれないはずだ。
そう自分に言い聞かせながら、黙々と階段を登っていった。

ついに、私は暗闇の階段を制覇した。
屋根裏部屋の床に立ち、周囲を見回した。暗闇に目が慣れてきたとはいえ、必死に目を凝らしてやっと何かの輪郭が見て取れ、記憶と照らし合わせてやっとその輪郭の正体に見当を付けられる、そんな状態だった。
まだ完全に暗闇に打ち勝ったわけではなかったが、それでも、階段を登りきった達成感の前に、恐怖心はかなり和らいでいた。
「危ないからあんまり好き勝手に動くなよ。」
その声の直後、私に遅れること数段、祖父も屋根裏部屋にたどり着いた。
私の肩を抱きながら足元を照らしつつ、祖父は私を、昼間に準備した幻燈機の近くまで誘導した。
「さて、じゃあ準備しようか。」
幻燈機を照らすように懐中電灯を机の上に置き、体をぐいとかがめ、幻燈機と視線の高さを合わせて祖父は言った。私も祖父にならい、幻燈機に顔を近づけた。
「幻燈機ってのはな、なんていうか、映画と紙芝居の間の子みたいなもんだな。」
私にどう教えたものか頭をひねりながら、祖父はゆっくりと説明を始めた。
「ここに絵を描いたガラス板を差し込む。」
そう言うと祖父は小さい箱と大きい箱の継ぎ目を指差した。
「ガラス板ってのはこれだ。」
幻燈機の側に置いた箱に指を滑らせた。
「で、これはランプだな。」
幻燈機の後ろの布を持ち上げ、ガラス管を示す。
そのまま、ランプから幻燈機の前方に向けて指を動かし始めた。
「ランプから出た光が…ガラス板を通って…小さい箱の方にはまったレンズを通って…」
幻燈機をなぞっていた指がスッと跳ね上がり、前方を指差した。
「あそこの布にガラス板の絵柄が映る。わかるか?…少し難しかったか。」
なんとか祖父の説明について行こうと難しい顔をした私の顔を見て、祖父は苦笑いした。
「とにかく一度やってみればええ。その辺に座ってなさい。」
促されるままに私は幻燈機の側を離れ、机とタンスの間の床に座った。
マッチを擦る音、ガラスと硬いものがぶつかる軽い音。一瞬、背後が少し明るくなった気配がした。
カチャカチャという小さなガラスがぶつかりあうような音。
「懐中電灯消すぞ。」
そう祖父の声がした。
「待っ」
私の制止も虚しく、部屋は完全な暗闇に包まれた。私はぎゅっと身を固くした。
しかし、それもほんの数秒のことだった。
「さ、始まり始まりい。」
祖父の妙に芝居掛かった声がした直後、タンスにかけられた布に、ぼんやりとした絵が映し出された。暗闇の住人たちは、最高のチャンスを逃したようだ。私は密かに胸をなでおろした。
当分は、幻燈機の光が私たちをわずかながら照らしてくれる。当分は奴らが近づいてくる隙はないだろう。そう思うと、かなり気が楽になった。
「ああ、ピントが…ちょっと待ってくれるか。」
背後でガタガタと音がし、布に映し出された絵がガタガタと揺れながら大きくなったり小さくなったりした。
机を動かしているらしい。
「もう、ちょっと、前に…」
振り返って祖父を見る。幻燈機の位置を調整する祖父は、そこから漏れる光に照らされ、一見顔だけが浮いているようにも見えた。
「こんなもんだな。さ、仕切り直し仕切り直し。」
祖父は少しバツの悪そうな声で呟いた。私はタンスに向き直った。映し出された絵は、先ほどよりずっと輪郭がはっきりしていた。
長方形の画面の中では、1組の男女が雲の上に立ち、下に広がる海を見下ろしている。男の方は男の体より長い棒を勇ましく構え、海に突き刺している。女は男の傍らに立ち、男が構えた棒にそっと手を添えている。
「ありゃ、じいちゃんが子供の頃に見たのとは違うぞ。こりゃきっとあれだな、イザナギとイザナミだ。」
「誰?」
絵を眺めたまま聞いた。
「おお、聞いたことないか。昔話っちゅうか神話だ。」
「どういう話?」
「あー、そんなしっかり覚えとらんぞ?…まだ世界に海と何人かの古い神様以外なーんにもなかったくらい昔、イザナギという男の神様、右だな。とイザナミという女の神様、左のべっぴんさんだ。…がいました。」
「二人は二人よりもっと偉い神様から命令されて、なんたらって矛を使って世界に大地を作ることになりました。」
「二人はそのなんたらって矛を海に突き刺し、かき混ぜました…。…ほれ、こんな風に。」
祖父のその声を合図に、布に映った男が、矛を左右に動かし、海をかき混ぜ始めた。
「動いた。何で?」
「後で明るいところで見せてやろうな。」
後にものの本で読んでわかったのだが、幻燈機で投影される絵の多くは、一枚のガラスに描かれたものでなく、何枚かのガラスに分けて描かれたものを重ねることで作られていたのだった。
この絵の場合は、イザナギの腕と矛が描かれたガラスとそれ以外を描いたガラスに分かれており、ガラスをスライドさせたり、回転させたりすることで絵を動かす仕組みらしかった。
単純な仕掛けではあるが、こんな簡素な木製の機械が映し出す絵が動くとは予想していなかった私の目を惹きつけるには十分であった。
「もっと見たい!」
「おう、そうかそうか。他の絵も何枚かあるから見てみるか。」
私がこの上映会を殊の外楽しんでいることに気を良くしたのか、祖父の声はいつもより少し弾んで聞こえた。
「どこまで話したかな…。」
「海をかき混ぜました。」
「そうだ。で、海をかき混ぜ終わって、引き上げた矛から滴った雫が海に落ちた。それが日本の島々になりました。つまり、日本って国があるのはこの二人のおかげってわけだ。」
「ふーん。」
「じゃあ、次見てみるか。」
しばらくカチャカチャと音がした後、別の絵が映し出された。
「さっきの続きだな。」
何かとても太い柱の端と端に立ち、イザナギとイザナミが向かい合っている。見ていると、二人はお互いに近づいていき、中央付近で手を取り合うような格好になった。
「日本の島々を作り終えた二人はそのうちの一つに降り立ち、結婚しました。で、結婚して幸せに暮らす中で何人もの神様を産みました。」
カチャカチャと音がし、別の絵が映し出された。
今までの2枚と違い、重苦しい雰囲気の絵だった。無地の真っ黒な背景の中、苦しそうな表情のイザナミが横たわっている。
「イザナミが最後に産んだ神様は、火の神様でした。イザナミは、火の神様を産んだ拍子に、焼け死んでしまいました。」
画面の左から右に向けて黒い背景がスライドしていき、代わりに炎を思わせる赤、黄、橙の背景が広がっていった。
カチャカチャ。洞窟のようなところに入っていくイザナギの絵が映し出された。
「悲しんだイザナギは、イザナミを生き返らせるために黄泉の国に向かいます。」
カチャカチャ。イザナギと、袖で顔を隠したイザナミらしき女が映し出された。イザナギの手と顔の動きは、何かをイザナミに話しかけているように見える。
「黄泉の国でイザナミに再会することはできたものの、イザナミは顔を見せようとしません。ともあれ、ついにイザナミは説得に応じ、黄泉の国から地上に帰ることを受け入れます。」
「ただ、イザナミは一つだけ条件を出します。地上に帰るまで決して私の姿を見ないでほしい。イザナギが条件を守ることを約束すると、イザナミは許しを得てくると言って一人で部屋に入っていきました。」
カチャカチャ。またしても、黒色が画面の大部分を占めていた。画面の右にイザナギと思われる後頭部が大きく描かれている。背景は黒色だが、その中にも模様が描かれており、よくよく見ると背景が黒い戸であることがわかる。
「初めこそ大人しくイザナミを待っていたイザナギですが、いつまでたってもイザナミが出てこない、痺れを切らしたイザナギはつい扉を開けてしまいます。そこにいたのは…。」
戸がスウと左から右に動いていき、戸の裏から、腐乱し、ところどころから骨が覗いた女の姿が現れた。
私は、突然の恐ろしげな絵に思わず身を固くした。
「死んで腐り、醜い姿になったイザナミでした。お、ちと怖かったか?すまんすまん。」
祖父は身をすくめた私の様子に目ざとく気づいたようだった。
「次が最後の一枚だな。話はまだ続くんだが。捨てたんか?」
カチャカチャ。画面の左に腐乱したイザナミが、右に向かって走るような形で描かれている。
それきりだった。
「ああ?」
祖父は怪訝そうな声を上げた。画面からイザナミの姿が消えた。一度ガラスを引き抜いたらしい。
「あー、こりゃ絵が禿げてるな。古いもんだ、1枚くらいあるわな。」
再びイザナミが映し出された。
「一番いいところなんだが。堪忍な。イザナミは約束を破ったイザナギに大いに怒り、イザナギを殺してしまおうと追いかけます。イザナギは必死に逃げました。イザナギを助けたのは、桃の木の実でした。イザナギは桃を投げつけてイザナミたちの気をそらし、ついに黄泉の国から逃げおおせたのです。…ってな話だから、多分こんな感じだったんだろうよ。」
そう言うと祖父は幻燈機から離れ、タンスの前に移動し、幻燈機の光を浴びた。
「多分この辺に…、こう、イザナギが逃げながら桃を振りかぶってるような格好で描かれてたわけだな。」
そう言うと、祖父はその格好をしてみせた。
「動くとしたら腕と桃とかか。」
祖父はその姿勢のまま、手に持った物をイザナミの方に投げつける仕草をしてみせた。
一瞬、幻燈機の炎が大きく揺らいだ。
「どうした?変な顔して。」
そのポーズのまま、私の方を見た祖父が聞いてきた。
私は、投影された絵を食い入るように見つめていた。
「手が。」
「おう。動いてるの見たかったよな。残念。」
「これで終わりだよね?」
「おう。」
「じゃ、もう終わりにして寝よう?」
「おお、そうしようか。何時かは分からんが結構いい時間だろうよ。疲れたよな。…退屈だったか?」
祖父は私の様子をうかがうように聞いてきた。
「違くて。面白かったよ。ありがとうじいちゃん。…でももう寝たいの。」
焦りがにじみ、変にそっけない口調になってしまった。祖父は少し落胆したようだった。
「わかったわかった。じゃあ片付けは明日にしような。火だけ消させてくれ。」
祖父が懐中電灯を点けてランプの火を消したのを確認するや否や、私は祖父の腕と懐中電灯を引っ掴み、早足で階段に向かった。
「おおっ。おいっ、どうした?」
困惑する祖父を無視して、ほとんど祖父を引きずるようにして階段を降り始めた。
長時間懐中電灯や幻燈機の頼りない光しか目にしていなかった身には、階下の仄かな明かりも随分と明るく見えた。
すぐ後ろを祖父が付いて来ている、さらにその後ろに誰かがいるような気がした。
これまで想像していたような奴らとは違う。今後ろにいるそいつに比べれば、あんな奴らなど今や何の問題にもならなかった。
3段目まで降りたところで、私はほとんど叩くようにスイッチを押した。
階上がパッと明るくなったのを見て、やっと私は少し落ち着きを取り戻した。
「ああ、びっくりした。どうした急に…。」
「ごめんなさい。急に怖くなって。」
「そうかあ。そりゃあ悪いことしたな。暗いのは怖いもんな。」
祖父は申し訳なさそうにそう言ったが、どこか安心したようでもあった。
祖父に本当の事を告げるのは何となくはばかられた。私の思い過ごし、ということにしたかったのだ。
「今日一緒に寝ていい?」
そう聞くと、祖父はパッと顔を明るくした。
「いいぞお。じいちゃんがいたら怖いもんなしだ。安心して寝たらよろしい。」
祖父はそう言ってカラカラと笑った。
その顔を見ていると、全てがただの思い過ごしのように感じられ、すっかり気が抜けた私は、支度を済ませ祖父と一緒に布団に入るが早いか、ストンと眠りに落ちてしまったのだった。

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翌朝、眠る私の横で冷たくなっている祖父に真っ先に気づいたのは、私たちを起こしに来た祖母だった。
祖母は震えながら私の手を引いてリビングに向かい、医者と私の両親に電話をかけた。
そして、私の両親が血相を変えて家に飛び込んでくるまで、ひしと私を抱いたまま離そうとしなかった。両親も私の顔を見るや交互に私のことを強く抱きしめてきた。
昨日まで普通に話をし、あまつさえ横で一緒に寝ていた祖父を亡くした私の心情を慮ってくれたのだと思う。実際、目を覚まして祖父の死を知ってからというもの、何時間も泣きじゃくりながら大声で祖父に謝り続ける私の様子は、到底放っておけるものではなかったのだそうだ。
両親も祖母も、私が何を謝っているのか不思議に思いはしただろうと思う。しかし、半狂乱の私に何度聞いても要領を得た答えが帰ってくるはずもなく、私がいくらか落ち着いてからも、彼らが気を遣ったものか、特にそのことを蒸し返されることもなかった。最後の夜に祖父と喧嘩なりたちの悪いいたずらなりをしたとでも思っているのだろう。

幾度となく単なる偶然だと自分に言い聞かせ続けている。
それでも、私があんなものを見つけなければ、と思わずにいられない。

あの時、祖父が幻燈機の投げかける絵の前に立ち、逃げるイザナギの姿を真似た時、ランプの炎が揺らめいた。
そうして、光の揺らぎでぐいと伸びたイザナミの腕が、祖父の肩に触れた。
黄泉の国に引きずり込もうとする腕が。
捕まった。そう思った。
祖父は続きがあるはずと言っていたが、きっと、あの物語は、あそこで終わりなのだ。
イザナギの命を救う桃は、あの絵には描かれていないのだから。

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