最も強い言葉で

ここ数年、ニュースを見ていると各国や組織の代表がこのようなコメントをしているのを頻繁に目にする。
「最も強い言葉で非難する」

重大な国際問題や社会問題を前に呑気な感想だが、面白い言い回しだと思う。
最も強い言葉。
相手を非難する語彙で最も強いもの。

古今東西のあらゆる書籍に記されている言葉から非難の言葉をかき集め、順位を付けよう。「浅慮」よりは「愚劣」の方が強烈だな。「愚劣」とFワードではどちらが強烈だろうか。最も強烈な非難の言葉が見つかるだろう。
しかし、恐らくこのフレーズにおいて示唆されているのはその言葉ではない。実在の言葉であればその言葉を使えば良いのだ。

「最も強い言葉で非難する」と言った・聞いた時、その言葉の裏で使用されるのは、既知の言葉ではなくむしろ仮想の言葉であるように思う。
「『既知のあらゆる非難の語彙よりもさらに強烈である』という性質を持つ言葉」。

それはもはや神の言葉だ。

言いつけを破り、死の穢れに満ち満ちた恥ずべき姿を盗み見たイザナギに、イザナミがその言葉を投げかけたかも知れない。神の怒りに触れ滅んだ都の住人が、轟く雷鳴の中にその言葉を聞いたかも知れない。
万が一にも人間ごときがその言葉を使ったが最後、「その言葉を使ったという事実によって認識される発語者の怒り」に当てられて、聞いたものは恐怖と恥辱に耐えきれず絶命し、発語者も血涙を流し、血を吐いて命を落とす。
そんな言葉だ。

各国、各組織の代表たちは、そんな恐ろしい言葉を「最も強い言葉で非難する」というともすれば弱腰にすら聞こえる表現に包み込んで投げかけ合っているのだ。

憂慮すべき深刻な社会問題のニュースを前にそんな愚にもつかないことをぼんやり妄想しながらトーストを齧る。社会問題自体への関心はお世辞にも高くはない。
私こそ最も強い言葉で非難されるべきかもしれない。

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