大学の劇場で探しものをすると必ず見つかる

 先日の公演の撤収時、忘れ物をした。
 そう嘘をついて、大学構内の劇場の鍵を借りた。
 エントランスの鍵を開け、入ってすぐ右手に聳えるホールに入る扉に手を掛ける。
 がちゃん。
 ノブを回す音の大きさに思わず首をすくめ、周りを見回す。別に悪いことをしているわけでもないのに。小さく苦笑する。劇場と外界を隔てる扉はずしりと重く、開けるために思い切り体重をかけなければならなかった。
 この扉、こんな重かったんだ。知らなかった。いつも康太が何も言わず開けてくれていたから。片手でドアを開け、美代が通り過ぎるのを穏やかな笑みを浮かべて待っている康太の姿を思い出し、思わず涙ぐんだ。ほんの1週間前までは当たり前の光景だったのに。
 美代と康太の出会いは1年前。演劇サークルの新歓だった。入団を決め、ともに照明担当として活動するうちに惹かれ合い、半年ほど前に交際を始めた。
 康太の趣味はハイキング。3日前もいつものように、「行ってくるね」だけの簡潔なメッセージが早朝に送られてきていた。公演を終えたほんの2日後のことだったので、もとよりインドア派の美代は公演疲れも残っているだろうから、と同行の誘いを断ったのだった。
 そして、そのメッセージを最後に、康太からの連絡は途絶えた。
 康太が出かけて行った日の晩に康太の家族が通報、翌朝から捜索が開始された。家族とはサークルの主宰が連絡を取り合っているらしい。
 苦心してドアを開け放ち、ホールの中に滑り込む。ホール入り口から差し込む四角く切り取られた光を頼りにホールの照明のスイッチを探し当てる。パチンという軽い音と同時にホールがその全容を表した。
 撤収の済んだホールは隅に設営に使用する平台が積まれている他はがらんとしている。こんなに広かっただろうか。よく考えると空のホールに一人で立ち入ることなどなかった。公演のたびに異なる世界観を現出する劇場は、変幻自在ゆえにその本性は虚無である。外界から隔絶された何でもない場所に一人足を踏み入れる孤独感に肌がじわりと粟立つのを感じながら、美代はホールの中央へ歩を進め、立ち止まると普段の公演でステージを設置している方向に向き直り、すうと息を吸った。
「康太」

******

 「なあ、『探し物はウチの劇場を探せば必ず見つかる』って知ってる?」
「知らない。何それ」
「先輩から聞いたんだけど」
「えー、ホントなのそれ?」
「いや、ウチのサークルのちょっとした言い伝えというか都市伝説みたいなものらしい」
「ふーん。なんか変な言い伝えだね」
「俺さ、それ聞いて考えたんだよ。なんでそんな伝説ができたか」
「分かったの?」
「多分だけどさ、公演の準備中ってバタバタするだろ?そのゴタゴタで色々失くすんだよ。しかも舞台やら客席やらがどんどん組み上がっていくとさ、見付けづらくなっていくだろ」
「舞台の下に物落ちてたりするよね」
「で、公演が終わって撤収する。一気に劇場ががらんとして、失くしたと思ってたものがひょいと見つかる」
「あー、わかる。私も前ペン無くした時そんな感じだった」
「多分それを大げさに言っただけなんだろうな、って」
「なんか夢ないなあ」
「理屈をつけるなら、ってだけだよ。本当かもよ?」
「えー、じゃあ今度なんか失くしたら劇場行ってみようかな」

******

 康太が消息を絶ってからというもの、美代はひたすら続報を待ち続けた。ろくに眠ることもできず、食事も喉を通らぬまま3日。朦朧とした頭に康太との他愛無い会話の記憶が浮かび上がったのは、今朝のことだった。馬鹿馬鹿しいと思いつつも、そんな与太話にすら縋りたい気分だった。自分がひどく間抜けに思え、情けなさに涙がにじんだ。
「康太……」
上擦った声で再び恋人の名前を呼ぶと、美代は顔を覆ってしゃがみ込んだ。
 「美代」
美代の名を呼ぶ声がした。咄嗟に顔を上げ、周囲を見回す。誰もいない。
「美代」
再び声がした。今度はどこから声がするのかわかった。美代は勢いよく天井を仰いだ。
 ホールは3階層の吹き抜け構造になっている。舞台や客席を設置する1階、舞台を俯瞰し、音響や照明を操作する機材がある2階、そして3階は、はるか高所から客席や舞台を照らす照明を吊り下げるキャットウォークになっている。照明を担当していた美代と康太は、しばしばキャットウォークで並んで作業しつつ、はるか眼下で動き回る小さな仲間たちを眺めていた。
 その張り巡らされたキャットウォークの格子の一つから、康太の顔が覗いていた。
「康太っ!」
「なんだよ、大きな声出して」
「なんだよじゃないよ!心配したんだから!」
「そっか、ごめん」
「とにかく待ってて、すぐ行くから!」
そう康太に釘を刺すと、美代はホールを飛び出し、楽屋前の廊下を抜け、キャットウォークに向かう階段を勢いよく駆け上がり始めた。
 康太が生きてた、良かった、康太、康太!
 3階まで一息に駆け上がり、キャットウォークと階段ホールを隔てるドアにほとんど激突するように飛びついた。手が震えて上手くノブを握れず、ひどくもどかしい。鞄の中のスマホが鳴る。それどころじゃないの。鞄をかなぐり捨て、再びノブに取りすがる。
 がちゃん。
 ノブが回る金属音が響いた。美代は力の限りドアを開け放ち、キャットウォークに転がり込むようにして叫んだ。
「康太!」
「みよ」

******

「ちょうど彼女が劇場の鍵を借りに来た直後ですね。サークルの主宰が彼女に連絡したのは」
「恋人との思い出に耽りたかったのか何か他の用があったのか。とにかく彼女は劇場を訪れて、そこで主宰からのメッセージを受け取り、恋人宮野康太の死を知ったわけだ」
「メッセージは開かれてないみたいですが」
「通知画面で大体の内容はわかるからな。それで自暴自棄になって……ってところか。あるいは茫然自失の状態でキャットウォークを歩いているうちに足を踏み外した……って可能性もあるな。とにかく現場にも遺体にも他者の形跡が一切なかった以上、事件性はないね」
「後者のような気がします」
「事故?」
「遺書とかもありませんし、それに」
「それに?」
「表情が」
「ああ、確かに自分で命を絶ったにしてはな」
「驚いているというか」
「何か恐ろしい物でも見たみたいな表情だったな」

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