5.初めての「声」

人生酒場で求められ、通りすがりのオトコとキスをしても、わたしの中に入ることを許すことはなかった。
孤独を感じ、心が荒々しくなっても、
どんなに激しく舌を絡めても、
そのまま冷淡にそこを立ち去った。
いや、知らないオトコたちと舌を絡めること自体が異常事態なのだが。

夢を抱いて上京した。
夢破れ、最後の舞台で燃え尽き、涅槃に行った。
田舎へ戻り、ふわふわしている心。
帰る場所がある感謝と共に、まだ東京に後ろ髪引かれるわたし。
わたしの脳内の何かが崩壊していた。
崩壊していたが、体内にオトコが入ってくるのは冷静に拒む。理性的に、拒む。
このわたしの行為は、理性の中で行われている愚かさだった。
自分の心を埋めるために、それは使われた。

わたしの前世は娼婦だったのではないかと思う。
むしろ、確信に近いぐらいに思う。

何故だろう。
矛盾過ぎる。
何故だろう。
わたしは決してオトコヲ喜バセテハイナイ。

だが、魂の記憶が「おまえは娼婦だった」と、脳内に交信してくる。
わたしは何かが壊れて『本能』が自分の中から溢れ出てしまう瞬間を、無意識に恐れていた。

秋もふけた頃。
サトルが青春18切符を使って電車旅をする途中に、わが町へ寄ると言った。
「K町に1泊するから、飲みに行こうよ。サイコさん」

「逢うの初めてだからなんか緊張する」

「俺は舞台で見てるからさ」

「ずるいなぁ」

「逢いたいよ」

「サトルくん。ありがとう」

田舎の大自然に囲まれながら、
わたしは少し『ありがとう』と言えるようになっていた。
わたしなんかと逢いたいと。
わたしなんかと。
逢いたいと。
泣けるほど嬉しかった。

『異次元のサトルが現実になる。』

震えるような緊張感だった。

サトルが来る前日。
さすがに家族がいる実家には泊められないと、サトルのために駅前のビジネスホテルを予約した。
サトルに初めて携帯の電話番号を教えた。

サトル。
相変わらず岸田繁氏のようなバンドマンを想像しているわたし。
緊張が溢れ出してきていた初対面前日の夜、仕事から帰り自分の部屋でぼーっとしていると、急に知らない番号から着信があった。
いつもは知らない番号からの電話には出ないのだが、思わず電話に出る。
その電話の主はやはり、サトルであった。

「サイコさん、寒みーーーよ!!」

初めて聞いたサトルの声だった。
初めて聞いた声。
大きな通る声。ボーカリストの声。
その声。
ずいぶん切羽詰まっている。

「どうしたの?」

「サイコさんの県に入ったんだけど、ローカル線の最終電車逃して、今無人駅にいる。なにこの寒さ。」

わたしの田舎は山間部にあるため、昼夜の気温差が激しい。特に今夜は冷える夜だった。
サトルに居場所を聞くと、高速道路で1時間少し走らせたところにあるローカル線の駅だった。

「サイコさん、迎えに来て欲しい。」

その時、わたしには理性の方が強く働いてしまった。
『サトルの存在を、家族に説明できない』

「ごめんサトルくん。今行けない。本当にごめん」

「ええー!」

「約束通り、明日逢おう。K町駅前にいる。」

「ええー!サイコさーん」

「ごめんね。ほんとにごめん。無事でいて」

わたしは非情にも、電話を切ってしまった。
初めて聞いた若くて太いサトルの声は、やはり岸田繁氏を想像させるものだった。ボブくらいの髪型でギターを背負う姿を想像する。
少しの感動と、自責の念が自分に襲いかかる。サトルを受け入れられなかった。
サトルのところに救えに行けなかった。
自己嫌悪に苛まれながら、
わたしはサトルの無事を祈った。

『どうか、生きていて』

ああ、身勝手で冷静な自分。
また自分を殺したくなる。

再びサトルから着信。
「今日は諦めて駅に泊まるよ。あー寒ぃ。ひでーなサイコさんよう。・・・暇だから、もう少し話して。」

サトルは軽やかに笑いながら言った。
サトルの声は、わたしの固まった心をほぐしていった。
電話越しだが、空間が居心地が良い。飾らない自分がそこにいる。
なんだろう。懐かしいような、弟のような。。。

そして、明日。
サトルと逢える。

「いい声。」

わたしはその声に癒されながら、深い眠りについた。

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