本当の理解者は世界でたった一人でいい
先日、カフェにて友人との時間。
その友人は、年上の女性で、ちっちゃい見た目とパワフルなエネルギーのギャップが眩しい、とってもキュートな方なのですが、
50年以上生きていれば、それはそれはいろんな人生ドラマをご経験で。
「自分の人生の岐路に立たされたとき、立ち直っていけたのは、どうしてなんだろう?」ということを、語り合っていました。
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そこで、私と彼女との「立ち直るための必須条件」として共通だったのが、
私にとっての本当の理解者が、一人、いた
ということでした。
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もちろん、トータルで見ると、いろんなきっかけ・気づきが相まって、
らせん状に少しずつ向上していけた、という感覚はあるのですが、
そのらせん状の向上を支える大きな支柱として、
絶対的な理解者の存在が必要だった
のです。
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わたしの場合は、ひとりの親友。
友人の場合は、事実上のパートナーが、その人でした。
絶対的な理解者、というと大げさですが、とにかく
「どんな自分の状態でも、大丈夫なんだ」
って思わせてくれた存在だったの。
ぐちゃぐちゃに落ち込んでいても、
何度もおんなじ話(グチも)を繰り返しても、
無気力で疲れ果てていても、
そのまんまでいいやん
って、いつもと変わらぬ態度で、そこに居続けてくれた。
一緒に落ちるでもなく、引き上げるでもなく、
どんな状態のわたしに対しても、一貫して「大丈夫よ」って感じで、
ただそばに居続けてくれたなぁ、
とそんな風に思うのです。
たぶんこれは、無条件の受容。
そして、ありのままの自己受容を、とてもとても下支えしてくれたのだと、
今ならよりクリアに分かるのです。
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というような真面目なことを、
日曜の午後、涼しげなカフェにて語り合っていたわけですがw
これって、本当に大切なことだよなぁって、思ってね。
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普段、目の前の生活を営む、ということのためには、
こころのふかいところにアクセスしないよう、生きる、
ということが必要になってくるんだと思うんだよ。
だから、こころのふかいところにある、
さまざまな感情・本当の想い・うずくような経験たち、
について公にする機会って、本当に少ない。
私は仕事柄、人の話を聴く、ということが日常の中にあるので、
相手の深い話を聴いたり、自分の深い話を話したりということはとても普通のことなのですが、
どうも、語りつくせぬ想いを抱いて、出し場所を持たない人が多いのだなぁということが、
友人たちと話をしていても、非常に感じられるわけです。
自分が本当に大切にしていること(経験)について語ったあとで、
「こんな話、普段はしない」
「初めて話せて、うれしい」
って、言われる方が多いのね。
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もっと、本当のことを語りたいよなー
って、思うよ。
そうして、本当のことを、語って語って、たくさん語り合った先に、
どうしようもなく、道に迷ったり、トンネルに落ちたり、籠って出られなくなったとき、
なにも語らなくても、そのままを受け入れ、そばにいるという
唯一無二な関係性が作られるんだと思う。
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わたしも、その親友がどんな姿であろうと、何も変わらずそばにいると決めている。
こんな、言葉ではうまく言えない感情を抱かせてくれた親友に、心から感謝。
本当の理解者は世界でたった一人でいい。
その一人を見つけるために、大切にするために、
自分ができることをやっていく勇気を持って。