楽しいけど、疲労感は半端ない

どう思う。

以前からお話ししている #児童発達支援 について。
我々家族としての考えとして #親子通園 という形が合っているのではないかと思い、この3年ほど利用してきました。

よそに移るタイミングを逃したと言うのも事実ですが。

これも、小学生で利用ができなくなってしまうので、少し寂しいなと感じるような素晴らしい施設に出会えて、本当に良かったと実感しています。

その中で、どうしても親子通園に抵抗のある方、自信のない方など多くいらっしゃると思います。

なぜこの形を選び継続してきたのか、それは自分たちにとってどういう #愛着形成 が良いのか考えた結果でした。

キッズは2人。そしてシングル。
このような条件になるとどうしても偏ってしまい、平等に時間を割くことができません。
そしてそれは仕方のないことでもありました。

ただ、このような形式を取ることにより、時間が生まれより密接な関係になれるとも思っていましたし、よその施設だと時間が限られていたりして短かったり、こちらとしてはそれなりの長さを持って接してほしいと思っていたので物足りなさを感じていました。

物足りなさを感じると言うのは、それぞれ個別指導だったり、グループ指導だったり、そのことについては考えていません。

もちろん、時間としては、よその1時間でがっつり詰め込んだり、2時間やったり、その程度でもよかったのかもしれませんが、今となってみれば、幼稚園の時間のような朝10時から昼14時までのタイムスケジュールで、お弁当を持っていき、お昼を食べて活動するそんなスタイルが合っていたのかもしれません。

確かにお弁当作りは手間ではありますが、日中平日は保育園でおいしい給食を食べているという側面を考え、今回は週に1回だけだし、たまにコンビニ弁当でサボることもあるけど、こうして友達と食べると言う経験をたくさん積めるのはとても良いことであり、また食事指導として、スプーンの持ち方や箸の持ち方などをチェックしてもらえるのが何よりありがたいことでした。

なぜそう思っているのかと言うと、やはり親の注意と周囲の注意では変わってくると思っているからです。特に我が子の場合そうなんじゃないかなと思っています。

何も考えていなくても正しくできるというのが理想ではありますが、それは本当に理想でキッズにそこまで求めても仕方のないことだと割り切ることも重要です。
こうして割り切るという考えを持てたという事、それから親自身の知識力ももちろんあったと思います。とは言え、自分を高く評価するつもりはありません。

なんでこんな風に簡単に切り替えられて簡単にうごけているのか、普通の親なら悩み葛藤し「なんで自分の子供が」と悲観的な気持ちになる場合もあるでしょう。

それに関しては、大学こそ中退したものの、それなりの知識力がつき、福祉関係の道を諦めていなかったということに尽きると思います。
とは言っても、分野はほとんどが高齢者福祉だったので、事実があんまり興味がなかったんですね。
なんとなく、この資格を取れば、この道に進むのはと考えていたのですが、やりたかったこととカリキュラムの差がありすぎて、自分の気持ちの中で落ち着かない部分も正直ありました。まぁ今となってはやめないで、ちゃんと成績を収めて、卒業しておけばよかったんじゃないかなとも思いますが、今更言ってもしょうがないですからね。

まぁ、それはそれで、学部編入ということも少し考えましたがその辺は、自分の中で折り合いがつかなかったのだと思います。
編入してまで周りの学生とやっていく自信がなかったんですね。
と言うのも、中学までの同級生が大学にいることがわかり、それもあまり良い関係ではなかった人だったので、編入先にその人がいるとわかっていた部分で半分あきらめもありました。関係ないわが道を行くと言い切れるのであれば、それでよかったんですけど、自分自身揺らいでいた部分が大きかったんでしょうね。

そんなこんなで中途半端に知識をつけてしまい、さらにバイト先も福祉関係、友人関係も福祉関係者が多い中、いろいろな知識を教えてもらい、そこで成長できたのだと実感しています。

そこで得た知識は、現在も役に立っていて、今回のように我が家のキッズたちの成長に悩みを感じたときどういったサービスがあるのかなど事前にデータを持っていたと言うのが強みでしょうか。

それ以外にも、自分自身の体の事、精神的なこと、頼れる福祉サービスなどなど知っている事は山ほどあります。
そのせいもあってか、自分でてきぱき決められたのだと思います。

もしこの知識がゼロの状態で、世間に放り出されていたら、真っ暗闇の中を手探りで探す。そして危険物を触ってしまい、怪我をする。そんな恐れもありました。

取捨選択できるというのは自分の知識やデータのおかげだと自負していますし、親としてシングルとして相談相手もおらず、決定権は自分のみという状態でやっているため自分が決めたものが全て我が家は影響するという事、しっかり受け止めなければなりません。

辛くても、悲しくても自分1人で抱え込む必要は無い。
ちゃんと相談できる相手を見つけて話をし、行政でも民間でも何でも頼れるところは頼って人生を苦しくないようにして行けたら1番ハッピーなんじゃないかなと感じるこの頃です。

今回はなんだか自分語したくなり、長々と書いてしまいましたが、皆さんのご家庭、それぞれいろいろな意見はあるでしょう。

それぞれのご家庭のペースでいいんだと思います。
周りに巻き込まれる必要は無いのです。
うちはうち、よそはよそ。こんな言い方もありますよね。
ただ、一緒にやれる事はやって行けたらいいなかなと思います。

それぞれのバランス考えるのって難しいですよね。
自分1人で何でも決めなくてはならない、難しいことですよね。

「我が家は、旦那が話を聞いてくれないんだよね」
「我が家は、夫が乗り気じゃないんだよね」

そんな話を聞くたびに、話す相手がいるだけ充分じゃないかと自分の中でモヤっとしてしまう時もあります。

それは、単なる僻みや妬み、夫婦で暮らすという事の嫉妬なのだと思います。

イヤイヤ期、反抗期。これは嫌なことの1つだと思います。親にとっては苦痛だと思います。
でもよく考えてみたら、成長の1つであり、自己表現をすると言う点においてはすばらしいことなのかもしれないですね。
単純に疲れたなぁとかめんどくさいなぁと思うこと。これもステップの1つなんだと思えれば嬉しい事の1つに変わるのではないかなとそう信じています。

ありふれた日常、その日常の1コマなんてあっという間。
あっという間に数年が昨日のことのようで、なんとも寂しい感覚に陥ります。

気づけば6年間も育児してきたんだなぁと思い返してしまいますね。
まだまだ成人するまでは12年間あるわけで、長い道のりではありますが、3分の1は終わったと言うことになるのでしょうか。
そう考えると、ここまでよくやってきたなと山あり谷ありいろいろなことがあったけど、あなたたちに出会えて幸せだよと正直にキッズたちには言いたいし、抱きしめ、会いたい素直にそう思えるまでに時間はかかったけど、本当にありがとうという気持ちでいっぱいいっぱいです。

自分自身の親にも、こうして今幸せな生活が過ごせていることに対するお礼として、産んでくれてありがとう。そんな話をしたけれど、それはひとえに自分に子供ができて、両親には孫が生まれたからそう言えるようになったんだと思います。

複雑で面倒な家庭環境だけど、その事実を知ったとき、どういう反応するかは怖いけど、それを乗り越えた先に絶対に幸せをつかんでやるという強い気持ちがあるからやっていけるんだと感じます。

生きてることへの感謝。
これをもってこの話は終わりにしたいと思います。

では。

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