人のシに敏感なころ

どうも。

ある日を境に自分がシに追いやってしまったのだと負の感覚に悩まされていた。

それから著名人、周りで起こったシに関すること全てにおいて本人の状況や気持ちなんて知ることもないのに勝手に苦しくなっていく。

ある日は夢にうなされ、引き金となった事件を映像記憶で俯瞰で見ている。
俯瞰で見てるのにあの日の痛みを思い出す。

心も身体も痛くて耐えられない。

すると頭の中に不思議な声がこだまする。
「おまえのせいだ」
「のうのうと生きてるのがムカつく」

自己中心的なシは何も生まない。
いや、なにも生んではならないのだ。

開放された頃に現れる悪魔。

そこにあるものは無でしかない。

それでも構わないから、一歩ずつ自分の心と離れないようにしっかり掴んでおかなければならないのだ。

ある詩人が「生きる」という詩を世に出してくれたおかげで、自分自身を見つめ直すきっかけの1つに力貸してくれているようなバワーを感じた。

そこに答えが転がっているわけではないけれど。

自分自身の道標そんな気がしてならない。

いいでしょ。
たしかにね。
簡単なことではないけれど、最近ようやくシに向き合えてきた気がする。

難しく捉えすぎないでゆっくりいこう。

では。

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