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過去は変えられる

過去は変えられる!

そんなことを言う人がいたら、どう思うかな。

はい?何言ってるの?過去は変えられないよ?

未来は変えられるよ、でも過去は無理だよ?

そんな風に思うかな。

私は、過去は変えられない。そう思っていた。

長年、虐待を受けた自分を許せなかった。普通の家庭に生まれることができなかったことを悔やんでた。

親を幸せにできなかった自分のことも、許せなかった。

大人になってからは、精神的に参り沈み続ける自分のことを受け入れられなかったし、

過去を思い出す度、恥ずかしさの波に溺れそうだった。

過去の失敗を頭の中で鮮明に再生した。

何度も何度も。歯を食いしばりながら耐えた。

トラウマが頭を駆け巡って、10年近く、最低限度の生活をするのがやっとだった。

ひきこもりになり、誰とも会えなくなって、数えきれないくらい自死も考えた。

脳をいじって、記憶を消せたらどんなに楽になれるかと、本気で考えていた。

そんな風に暗黒の過去を引きずってきたけれど、

2年間にわたるカウンセリングを通して、様々な気付きを得た私は

自分の過去に対する捉え方が180度変わった。

過去に起きたこと自体は変わっていないかもしれないけど、

過去に対する捉え方は、これからいくらでも変えることができる。

そう、確信してる。

恥ずかしい過去が、誇らしいものに変わるとき

ずっと、自分の存在が恥ずかしかった。

そんな自分が通った道中もまた、恥ずかしいものだった。

過去は重荷で、足かせ。消してしまいたいもの。

地元の友達との交流もほとんどない。自分の過去を知る人と関わりたくない。そんな風に思うほど。

わたしはずっと、

母を救えなかった自分に罪悪感を抱いていた。

不幸を嘆く母。幼いわたしは、愚痴を聞くくらいしか出来ない。

話を聞き、励ましても、いつも不満そうな母の顔を見ては、自分を責めた。

私が至らないんだ。私の力不足なんだ。もっと頑張らなくちゃ。

3.4歳くらいから、そう思っていた。

私しか母を守れる人はいないと、使命感に燃えていた。

だけど、現実では母は相変わらず不幸そうで、相変わらず愚痴を言っていた。

そのたびに打ちのめされた。私がいけないのだと。

私自身、子どもを持ちわかったことがある。

子どもが親を救うというのは、無理なんだということ。

母を救えるのは、母自身しかいないということ。

そもそも親は、自分の力で幸せを模索するのであって、子どもに頼るような関係性ではないこと。

わたしは無理難題を突きつけられ、

出来なければガッカリされ、ため息をつかれるという、意味のわからない環境にいた。

私の力不足ではなく、どう頑張っても実らないことをせっせとやっていた。

カウンセリングの中で、丁寧に当時の状況を把握していった。

もし今、自分の子が

「ママが笑ってないのは僕のせいだ。僕がもっと頑張らなきゃ」とか言っていたら

チョットマッテー!!イロイロチガーウ!とツッコミをいれるだろう。

本当に、いろんなことがおかしな環境だった。

おかしいことをおかしいとハッキリ理解できたとき、

その中で必死にもがいていた自分を、受け入れられた。

そんな環境にもかかわらず、私は生きて、今ここにいる。

え?私、まじですごくない?すごすぎない?

よく頑張った…!よくぞご無事で…!

恥ずかしかったはずの過去が、誇らしさで塗り替えられる瞬間。

それから自然と、自分の過去に「にも関わらず」とつけることが増えた。

あんな両親の元に生まれた。にも関わらず、よく生き延びたなぁ。

まともな生活をしてこなかった。にも関わらず、生きることを諦めなかったなぁ。すごいなぁ…とか。

自分を肯定する発想になっていく。

今までどれだけ我慢をしてきたか。どれだけ犠牲を払ってきたのか。

認識できるようになった。

催眠療法に出会ってからは、

過去の自分に直接会いにいった。

ゆったりとした姿勢になり、目を閉じる。

当時の会いに行く。誰にも気付かれずに涙を流す自分がいたら、駆け寄って抱きしめてあげる。

「なかったこと」にされた涙や思いを、今の私が受け止めてあげる。

好きなだけ泣かせてあげる。ただただ寄り添い、優しく見守る。

そして、声をかける。

今までよく頑張ったね、えらかったね。

今まで気付かなくてごめんね。

もう、ひとりじゃないよ、大丈夫だよ。

自分にまばゆい光を当てて、悲しみが浄化されていくようなイメージをしてみたり。

今のわたしが出来る限り、

当時の自分を認め、愛してあげる。

そんなことを続けた。

時間の概念

時間は、過去〜現在〜未来と横に流れているようで、

実は縦になっている(らしい)

過去も未来も存在しなくて、

今「この瞬間」が、縦に存在しているだけ。

(これは私も厳密には理解してないんだけど)

何を伝えたいかと言うと、

当時の自分が癒されると、今の自分も同時に癒されるってこと。

これはその通りなんだと思う。実感がある。

例えば、産後鬱で死ぬことしか考えられなかった時の私を癒しにいった時のこと

抱きしめ、愛を送る中で、

当時の私目線になる瞬間があった。

暗闇の中にいるんだけど、

外から聞こえる鳥の声に、一瞬、我に帰り、生をつないでもらったのを思い出した。

その鳥の声は、今のわたしが送った愛や光なんだという確信がある。

不思議なんだけど、なぜかわかった。

映画「インターステラ」で、宇宙飛行士が宇宙に向かう時に、空間から突然手が出てくるシーンがある。

宇宙飛行士は驚くんだけど、後に、それは、未来の自分の手だったことがわかる。

今の自分が、未来の自分と交流する。

時空が縦なら、なんだかそれもわかる気がする。

今の私が傷ついたままの私を癒すことで、

計り知れない癒しが起きる。

癒しもまた、循環する。

それぞれの青写真

人は生まれる前に、今世で学びたいことを決めてから来るという。

生まれ落ちる親も、自分で選んだとか。

1年前なら、到底受け入れがたいことだったけど、今なら確かにそうかも!と思える。

私の場合、初期設定をハードモードにして、どうサバイバルするか、さらにそこから何を学ぶかってことを経験したかったみたい。今のところ。

ハードモードにしすぎて瀕死。10年休憩w

ようやく立ち上がり、今までのことを理解し始める←イマココ

いやぁ、学びは多かったよね。

ふと、辛く苦しい経験からも何か気づきを得ることこそが、学ぶということの本質なのではないかと感じた。

学校のお勉強はできなかったけど、めちゃくちゃ学んできたよ。

そして、ここにひっそりと記してる。

ここに書けるのも、過去が「消し去りたい恥ずかしいもの」じゃなく、「単なる経験」に変わったからだと思う。

みんなにシェアして、みんなで拡大していけたらいいなーと思ってる。

ちなみに、

まだ日本ではカウンセリングって、病んだ人がいくネガティブなものってイメージがあるけど、

カウンセリングって、より善く生きたいと願う前向きな人がいくものだよ。

私は、人類皆カウンセリングに通って欲しいとすら思ってる。

なぜなら、カウンセリングは、自分に対する誤解をといていく場所だから。

他人に誤解されるならまだしも、

自分自身を誤解したままで、

傷ついたままの自分に気付けないっていうのは、とても、とても、悲しいことだから。

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