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藤井風「何なんw」MVを超解釈した

ケロケロリーン。こんばんは、ケロちゃんです。

今回は、最近存在を知って衝撃を受けた「何なんw」という歌のMVの超解釈をしていきます。

超解釈っていうのは、思考や常識とかを超越して、私の感じたままに解釈するっていう意味です。

この何なんwという曲は、ハイヤーセルフがテーマになっています。

ハイヤーセルフってなに?っていうのを軽く説明しますと、
私たちの意識より少し高い視点から世界を見ている存在です。

ハイヤーは、私たちが本来の自分に気づき、幸せに生きられるようにガイドをしています。
こっちにいくといいよ〜とか、そっちは肥溜めやで〜とか、様々なサインを送ってくれています。
同時に、私たちの自由意志も尊重してくれます。
なので、苦しいままいたいといえば、OKわかったよ!って苦しいままでいさせてくれます。
優しいですが、自由を認めている分厳しくもあります。

ハイヤーって、なんの見返りもなく、私たちをただただずーっと見守って、愛してくれているんです。
そっち行ったら肥溜めだよ、って何度サインを出しても、私たちはサインを無視して肥溜めにダイブする。でも、肥溜めでぐちゃぐちゃになっている私たちをも愛してくれるんです。
これこそ、無償の愛だと思うんです。

全ての人が、ハイヤーとともに生きているのですが、気付いていない人の方が多いです。
私もその存在に気づいたのは数ヶ月前です。

ちなみに、タイトルのなんなんの最初のaが二重になっているのは、
自分を上から見ている存在、まさにハイヤーのいる位置をオシャレに表現してますよね。

なんなん

「何なんw」は、ハイヤーが主人公に向けて歌った曲です。

MVでは、主人公がハイヤーの存在に気づき、自分を解放していく過程が描かれています。

では早速見ていきます。

眠り込んだ世界

最初に交差点で主人公とハイヤーが二人並んで空を眺めてるシーン

このとき主人公はハイヤーの存在には気づいていません。

一人で空を眺めていると思っています。
このアングル。MVで唯一上からの視点から撮影されています。
少し高い視点、つまり、ハイヤー的な視点。
ここから見れば、すぐ隣にハイヤーはいるっていうのは明らかなのに、当の本人は見えない、気付かないんですよね。
【どんなときもそばにいるのに 近すぎて 見えなくて 無視されて】という歌詞のままです。
自分になかなか気付かない主人公に対し、やきもきしているハイヤーの心情が詰まったこの冒頭シーン。

主人公のハイヤーとの関係性を明確に表現しています。

瞑想シーンから、歯磨きしてる鏡に映るハイヤー。私たちには見えていますが、主人公はここでも勿論、気づいていません。
ハイヤーはやれやれみたいな顔をしています。
外にでた主人公の後を、ふわふわ踊りながらついていきます。

主人公はずんずんと歩いていきます。なんとなく表情が硬い 
孤独感、頑なさ、自分を奮い立たさせているような感じがします。
オスのライオンが闊歩する雰囲気を纏っています。

道の途中で、ハイヤーに押されて、たくさんの人がいる部屋の場面に移ります。
ここは主人公の内面なんですが、
今まで抑圧してきて、見ないようにしてきた感情たちが溜まってます。
それを閉じ込めていた心の檻の中ですね。
感情たちの表情は、真顔 呆れ顔、諦め顔もいます。自分に対する不信感、無力感、抑圧した怒りなどが渦巻いてます。
主人公は感情たちと目を合わせません。見ないようにしています。

自分にとって都合の悪い感情を見ないフリをする。そんな主人公に感情たちは辟易しています。
自分の中で分離が起きて、対立している状態です。
ハイヤーがここに主人公をほうり込んだということは、もう自分と向き合う時期が来たよってサインです。

気付き、エゴの抵抗

次は夜の道を歩くのですが、
「あれほど刻んだ後悔も」の歌詞のところで、
後ろをチラッと振り返ります。ここで初めてハイヤーの方を見ました。
存在に気付いたんですね。

気づきの瞬間っていうのは、準備が整ったときに突然、何気ない瞬間に訪れます。
それは例えば、夜の道を歌いながら歩いている時とか・・・。っていうメッセージだと受け取りました。

ハイヤーに気付いてから、彼は前に進む速度を緩めて踊り出します。
軽やかになってきました。
顎を引いてキリッとしてた表情も、だいぶ柔和な雰囲気になりました。

そして、気づきが進んでいくとやってくるのが、エゴの抵抗です。

散々無視してきた感情たち。心の檻に閉じ込めて、見ないようにしていたネガティブな部分。

それが、黒い服になって、後ろを向きゆらゆらしてます。不気味です。
今まで見ないようにしていた闇の部分にどっぷりと浸かった主人公は、神様に助けを呼びます。
ヤバめ、ヤバめ、と連呼したくなるのもわかります。本当にヤバイ状態です。
真っ暗で何も見えない。自分はやっぱりダメなんじゃないかって思えてくる。絶望感、無力感に打ちひしがれる。

目覚めの道を歩んでるからこそ通る、自分の中のあぶり出し、デトックスが行われています。

ハイヤーがキャンドルを持って、黒い服の人とゆらゆらしてます。

【目を閉じてみて、心の耳済ませて、優しい気持ちで 答えを聞いて】

ハイヤーはこう伝えています。

外に何かを求めるのをやめて、自分の内側につながって
恐れず、サレンダーされることを許して、身を委ねて
と。

水の中に沈みゆきます。
これはエゴの死、そして生まれ変わるような意味合いです。
自分の執着、恐怖、エゴを手放す。水は浄化してくれますからね。

調和、解放

次のシーンでは、軽〜くなった主人公が、ハイヤーときゃっきゃ戯れます。
自由で軽い。楽しそうです。

先ほど心の檻の中でゆらゆらしていた黒い服の感情たちも、
はち切れんばかりの笑顔で踊ってます。いい感じです。

そして主人公自ら、心の檻の扉をあけました。解放の瞬間です。
闇の部分も受け入れることができたため、自分の中で調和が起きました。

以上です。 

主人公が苦悩し、気付き、解放されて、成長していくという一つの映画を見ているような濃厚な作品です。

このMVに目覚めへの教えがギュと詰まってます。

藤井風という在り方

藤井風さんという方は、在り方で人々を導くような人だなぁと思います。
歌が上手いから、ピアノが上手いから、かっこいいからすごい!
とかじゃなくて、ただそこにいることで、多くの人を共振させ、気づきを与えることができる。

これからの風の時代を象徴するような人です。(名前も風だし)

風さん自身がハイヤーと繋がりながら生きていてるので、彼は豊かさの中にいると思うんです。

物質的にとかではなく、内面的な充足感という意味で。

そんな彼からすると、ハイヤーに愛されていることに気付かず、孤独に打ちひしがれている人、分離や、争いに対して、少なからず胸を痛めてるんじゃないかと思うんですよね。

「何なんw」の中で、ハイヤーが彼に気付いてとサインを送っているように、作品を通して風さんは、私たちにメッセージを送ってい(るような気がしてい)ます。
意識を外側に向けるんじゃなくて、内側に向き合うことが、どれほど豊かなことなのかってこと、そろそろ気づいていこう!(勿論それもみんなの自由だけどね!)っていう感じで。

ハイヤーが私たちを優しく見守っているような無償の愛、優しさ。
そういう大きく深い愛の眼差しで、彼は私たちのことを見つめいる。
そんな暖かさを、この作品から感じました。

ということで今回は、「何なんw」MVの超解釈をしてみました。

最後に、

これは全て私が感じたことなので、「正解」はありません。
外側に正解あるのではなく、私たち一人一人の中にそれぞれの解釈があるだけです。
これから、私自身成長していくと解釈は変わると思うので、それがまた楽しみです。

ではまた。ケロケロリーン。

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