人を殺したくない。死にたくない。戦争にヒーローはいない。
Нет войне と、拘束されても声をあげ続けるロシアの人たち、リスペクトしかない。
自分にできるだろうか?
かつて日本軍が侵略戦争を起こしていた時、もし自分がその時代にいたら、
大声で Нет войне を日本語で叫べただろうか?
*
「怖い」という言葉を残して、死んでいった若いロシア兵がいる。
ポーランドに逃げようとして、逃げられず、仕方がなく銃を持たされるウクライナの人もいる。
侵略攻撃はますます凶暴になっていると聞く。
そして、無垢な目をした小さな子どもたちが、死んでいく。
*
人を殺したくない。
死にたくない。
戦争にヒーローはいない。
「きみが路上でそんなプラカード掲げていても、何の役にも立たないだろ。プーチンには見えないよ。それでコロナにでもかかったら、ただの馬鹿だ」・・・
馬鹿なのは知ってるし、役に立とうとも思ってないし。
戦争反対は、条件反射だから。
国際政治だとか軍事情勢だとか、
イデオロギー的な価値観だとか、
それも大事だろうけれど、
それで「戦争という選択肢も否定できない」とか言って、
今、この時に、人が殺されている戦争を容認する理屈だったら、
馬の耳で聞いたほうがいい。
どんな侵略戦争も、正当化の余地はない。
*
イラク戦争で学んだ。
あの時、大手マスメディアは、ごく一部の報道や番組を除いて、ほぼ一様に、結局はブッシュ政権のプロパガンダでしかないものを垂れ流した。
当時、NHKに勤めていたわたしは、それに加担した。
そんな自分が嫌で、夜な夜な酒飲んで、荒れ狂って泣いていた。
「そんなやってても、イラクの人が一人だって助かりはしないよ」と、友だちに言われた。
そうだ・・・
今は、シンプルに戦争反対を表現するときだ。
そう思って、『バグダッドのモモ』を書いた。
イラク戦争にかぎらず、
戦争の理不尽、こころのリアルを描きたかった。
バグダッドのモモという名前に、ちょっと仕掛けがあって、
さすらいの猫のあだ名が「バグダッドのモモ」なのだけれど、
必ずしも、舞台がバグダッドというわけではないんだ・・・
ここで書いたことは、そのまま今のウクライナでの、こころの風景にもつながるはずだ。
曼荼羅作家の田内万里夫さんが、すてきな絵を描いてくれた。
韓国語訳も出版された。
絶版だけど、アマゾンをみると、古本で出回っているようだから、よかったらぜひ読んでください。
*
さっき、映像を観ていたら、投降した若いロシア兵に、温かい飲み物をあげるウクライナの人たちがいた。
ほんとうにまだ若い兵士だ。
みんなが兵士の肩に手を当てて、語りかけている。
プラスチックのカップに入った美味しそうな飲み物は、なんだろう?
濃いめの紅茶だろうか?
手作りのジャムを口にして、飲むだろうか?
ロシア兵士のみんなが、世界中のみんなが銃を捨てて、この飲み物で、こころを温めるようになったなら・・・
そしてロシアで、Нет войне を叫び続ける人たちがいる。
どうやったら、国を超えて、彼女ら彼らと、連帯できるだろか?
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