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待ち望んだ日々の隙間。なのに迷子

嵐のような課題が1日を吹き飛ばす。気がつけば1週間は風の彼方だ。

毎日やるべきことがあって、毎日自分の課題に出くわして、毎日時間が足りない。望まずしてかというとそうでなくて、この日々は自らの希望と運によってもたらされた。

とても幸運に思う一方で、平等に明日が来るのがちょっと怖くもなる。できることも時間も全然足りてないってわかるから。自分がいちばん忙しいだなんて露ほども思わないけど、「明日が来ちゃった」じゃ済まないのよ。こっちはあれもこれもやりたいし手に入れたいのよ。

こういうときはたいてい、上野にあるお気に入りの喫茶店「王城」に行きたくなる。分厚いトーストのモーニングセットが美味しいんだ。

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コーヒーの良し悪しなんて大してわかりゃしないが、味わうだけの時間が良いことはわかる。なんの不安もない状態で、この時間を過ごしたい。

ちょっとでいい。不安のない隙間時間をくれ。できない自分をよく知る日々だから、余計にその時間が欲しくなる。その時間で自分の好きなことをするんだ。

……なんてことを思っていたのに、いざ待ち望んでいた隙間が訪れると、何をしようか迷ってしまう。

こういう時間で本を読んで、ちゃんとインプットしておきたいけど映画とかを楽しみたい気持ちもあるし、でもせっかくなら気になってたところに行きたい気もする。とかなんとか、考えているような考えていないような時間を過ごし、結局ほしいインプットはできないまま、また嵐の中へ。

あちゃあ。何がしたかったんだっけ。

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ここまで考えたところで、明石家さんま師匠の言葉を思い出す。

今日が自分の頂点やからね。明日は明日で自分の頂点。
落ち込むなんてのは、自分を過信してる証拠なのよ。

ぼくは自分を過信してるのかもしれない。いやきっと過信している。頑張ればきっとできるはずと思いすぎて、その言葉に頼っている。嵐の時間を頑張ればだなんてどこかで思っているに違いない。嵐に任せっきりなのだ。

いつまで消費者の気分に浸ってしまっているのだろう。いつの間に嵐さえも消費するようになったのだ。今度は宮崎駿監督の言葉を思い出す。

消費者になってはいけない。生産する者になりなさい。

良いものを消費ばかりするんじゃなくて、ぼくは良いものを生み出している人をサポートできるようになりたかったはずだ。そのための今の嵐のはずだ。

自分は何をしたくて、どうなりたくて今の状況を選んだのか。大事なのはそこだ。そのために必要なことを選びとっていく。

解決策はある。

ひとつは隙間にやりたいことのスケジュールを組んでしまうことだ。本は夜にちょっとずつ。映画は日曜日にとことん。1週間ごとにでもそのスケジュールを組んでみる。自分との約束をつくる。

信用できる人とは小さな約束を守る人だとぼくは思う。自分のことを信用するために、まずは自分との約束を守ろう。

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ケンワタナベ
ものっそい喜びます。より一層身を引きしめて毎日をエンジョイします。