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アパレル企業に勤めた9年 を振り返る

新卒で大手アパレル企業に就職し、
9年経った現在も、店舗で日々、接客販売している
ケンゾーといいます。

2020年4月よりアパレルに勤め10年目に入るということで、
1つの区切りとしてこの8年を振り返ります。

※これはあくまで自分の記憶をたどったもので、その年の印象に残ったことを書いてます。


◆入社~3年目


「1年目」

2011年4月に入社。東日本大震災の影響で、例年行われている入社式や研修が中止になり、店舗への出勤を命じられた出来事が最初の衝撃だった。

就職活動をしている時は、リーマンショック後の就職氷河期。就職するだけでも良いとされていた時代。そんな中「大手アパレル企業に就職できた」ということで、自分の中ではかなり自信になり、もう安定だと思っていた。

仕事を始めると、主には店頭での接客販売。アルバイトと変わらない感覚。アルバイトがずーとある感じ。洋服のこともわからなければ、会社のこともよくわからない、仕事のこともよくわからない。
わからない中「売上をとれ!」と言われ、接客を頑張って売れても全然褒められず、売れないと怒られる。また洋服がわからないことをバカにされ、そんな感覚で1年が過ぎていった。


「2年目」

日々やるべき事に慣れ、洋服への知識もついていき、
接客販売で「どれだけ個人の売上をとれたか」というところに注目していく。そして、上司にももちろん注目される。
しかし、その当時、「売上」を高めることが何故重要なのかが全くわからなかった。何も会社のことなどわからないくせに「売上が全てではない!」と、強く思っていた。めちゃくちゃダサいパターン。


当時、昇格試験というものが年に1度あり、これを突破できるか、できないかが大きな分かれ道。この昇格試験に落ちるとだいたいの人が辞め、合格すれば給料も上がり一人前の販売員として認められる。
そんな会社の儀式?みたいなものが存在した。

それを合格するのにだいたい3年くらいかかるのが普通といわれていた中、自分の同期達は1年目から合格するなど、その昇格試験に対してとても意欲的であった。

自分はというと何故か半信半疑。「同期が頑張ってるから俺も頑張ってみよう」という気持ちでその試験に挑む。ほとんどの同期が合格するなか自分は不合格。上司との面談で、全く自分のやってきたことや自分の強みが話せなかった。。。


「3年目」

不合格を引きずるが絶対合格したい!という気持ちが高まり、
もう1度試験に挑戦することを決めた。
当時、店舗の上司よりもマネージャーといわれる人から気にかけてもらえたのがとても嬉しかった。

しかし何故、マネージャーが自分を気にかけてくれていたかというと、

・売上も取れていない、
・店舗の上司達の関係もよくない、
・部下達が育っていない

自分がいる店舗が、もうダメダメだったのである。
そして、社内からは「ダメな店舗」としてレッテルをはられていた。
店長ではマネジメントできないため、マネージャーが代わりに行うレベルの状態だったのである。

しかし、そんな環境にもめげずになんとか合格を勝ち取る。
最終面談時に、話しながら何故か号泣してしまったことが、恥ずかしすぎて
今でも忘れられない。


◆4年目~6年目


「4年目」

店舗の上司が総入れ替え。直属の上司も変わり店長も変わり、レディースの先輩も辞め、新しいメンバーが入ってきてお店がガラリと変化。

「人が変わるとここまで働く環境は変わるのか」
と強く感じたのを覚えている。

そして、変わったばかりの店長も4カ月くらいで諸々の事情で退社。

直属の上司だった方が店長になり、
自分がメンズのリーダーを任されることに。

リーダーを任されてからすぐに自分が、接客時のクレームを起こす。
印象面がよくなかったということで、その当時、上司からものすごく
人格否定くらいまで自分を否定され追い込まれ、店頭に立つのが怖くなってしまった。しかし、自分はけっこう楽観的なところがあったため時間の経過とともにそれもなくなっていった。


「5年目」

リーダーを任されてだいぶ慣れてきて年。結果も出していた。
そして、この年は後輩への指導に力を入れていた。

何故なら「昇格試験」を今度は後輩達が受けるからだ。

1度落ちるなんてことがないように、自分が経験した嫌な思いにならないように後輩達と関わっていった。

チーム状態もよく、結果もついてきていて、自分が思い描いたような状態にチームがなっていくことがとても楽しかった。

しかし、6年目を迎える少し前に衝撃の事実を聞かされる。

それは一緒の店舗で頑張ってきた同期が「店長」になるということだった。


「6年目」

まさかであった。
たしかに上司から「店長をやりたいか?」と言われると、「別のブランドに行ってみたい」ということは、話はしていた。
しかし、自分よりも結果を出していない同期が「店長」とは一体どういうことなのか?全く理解できないまま、同期店長体制が始まった。

「一緒に頑張っていこう!」と自分自身や同期店長に言い聞かせながらも、やはりプライドが邪魔をしていた。「俺の方ができるし」というプライド。
そんな状況下だともちろん結果も出ない。

モチベーションを維持するのがとても大変な1年だったのと同時に、
同期の店長をやっている姿をみて、自分にもできる!と思い、店長を目指し始めた。

そして、働き始めて、会社や上司に対して疑問を持ち始めるようになったのが6年目のことであった。


◆7~9年目


「7~8年目」

そんな疑問を持ちながらまた店長が変わった。
しかし、上司は変わるがまだ自分の異動はない。
モチベーションが下がっている時であった。

7年目にして一緒に働いた店長は、とても頭がきれ、人間味のある人だった。人の強み、良さを認めそこを引っ張り上げることができる人で、とても尊敬に値る人であった。

その店長は自分が所属している店舗ともう一つ店舗の店長もする兼任店長。
仕事のスキルも高く、自分にはないものをたくさんもっていた。そして、仕事を一緒にしていくうちに「自分もこんな店長になりたいな」と思うようになっていた。

売上への執着が強く、とことん自分達ができる改善策を常に考え行動していた。それにより売上もついてきて、店舗として利益を出して1年を終えることができたのである。
上司の影響力を借りながらではあったが、自分としてもとことん結果に拘り、店舗として結果を残すことができた。

「よし!これで店長になれる!」と思っていた。

しかし、また自分は店長にはなれなかったのである。

そして、異動の通達を受ける。


「9年目」

初めての異動を経験。前店舗よりも売上規模の大きい店舗へ。
それも副店長として。そして、半年後には店長というプランを立てていた。

しかし、現実はそんなには甘くはなかった。

諸事情により店長が早々と離脱し、3カ月ほど店長をマネージャーが兼任することになった。しかし、ほとんど店舗にはこず、ほぼ店舗のマネジメントは自分が行っていた。その3ヵ月、他の店舗と比べても売上は取れているのにもかかわらず「この規模の店長はできない」という判断を下されたのだ。

これで3度目。


この時、自分はやっと、やっと気が付いた。

「結果、成果を出しても正しく評価されないのだ」と。



そして今、

「会社に期待することをやめた。」

だからと言って、仕事に対して手を抜くということはない。


今の仕事をしながら「自分で稼げる力」を身につけることにした。


Twitterを始め、ブログを始め、
自分自身のコンテンツを作り上げていく。


会社内での昇給や昇格することだけに注力することよりも、
自分が興味あることに注力し、どうしたら稼げるようになるか考え
行動した方が、絶対に確率が高いと色々と調べていく中で気付いた。
そして、何よりも自分自身が後悔しない。

稼げるようになるかは全く自信はないが、
ブログ作成を通して、全く知らないWEBの世界に入り、知らないことを知っていく楽しさを体感している。

こういう感覚を自分は大切にしていきたい。


だから自分自身が後悔しないためにも、

もう会社だけに頼る働き方はやめたんだ。

















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