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本多静六博士のエピソード・その3(山林学校へのいざない)

 15歳~18歳まで、農繁期は郷里で米つき、農閑期は東京で書生という暮らしをしていました。

 ある時、下宿先の家主で大蔵官僚だった島村先生から、「今度、官立の林業学校(*現在の東京大学農学部)ができるらしいが、ひとつ学んでみる気はないか?」と言われます。
 そこで清六は、田舎の役所に掛け合い、半年の年増をしてもらって18歳ということにしてもらって受験資格を得ます。
試験の結果は合格者50人中の50番。その後、必死に勉強しますが、なかなか幾何と代数が理解できません。

 初めの学期は、幾何と代数がそれぞれ5点足りなくて落第。苦しい生活の中でお金を工面してくれる母や兄に合わせる顔がないと、井戸に飛び込んで自殺を図ります。

 果たして、腕が井戸のつるにひっかかり、助かってしまいますが、落第したこと・自殺を試みたことを家主の島村先生に打ち開けます。
 「いいか、このことは誰にもいうな。この次は立派な成績で驚かしてやれ!」の言葉とともに、成績表をビリビリ破って捨ててしまいました。

 清六は、”エキス勉強法”を思いつきます。ノートを十分の一くらいのボリュームにして要点だけ小さな字で書き抜いた紙を作ります。1科目で3~5枚程度の要点集が出来上がり、それをポケット入れて散歩にでかけ、口頭で全体のことを説明出来るかどうかを確かめるという勉強法でした。
 やがて、果たせるかな、次の試験からはずっと1番で通すことが出来たのです。

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