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本多静六博士のエピソード・その2(父の死と学問の道)

 10歳の時、42歳の厄年だった父が急死。肩が張るといって就寝、翌朝には冷たくなっていたそうです。

 父の死に伴い、家計が苦しくなり、百姓仕事をさせられて自由な時間がなくなると、逆に学問が好きになります。米つきのリズムに合わせて、四書五経などをすっかり暗唱出来るようになります。

 また、仕事を工夫する知恵もつき、馬糞集めなどは、まだ薄暗いうちに家を出て、2キロくらい先まで馬糞の数を30くらいまで歩きながら数えます。そこから向きを変えて、家に帰りながら馬糞を籠に詰め込んでいくのです。朝早いので、他の人に取られる心配がないのと、家に帰りながら集めるので、籠が一杯になる頃にちょうど家に着くという具合で、とても効率的でした。

 また、下女が米とぎで誤って米を流してしまったことを母に告口などしていると、その姿を、時々泊まりに来ていた大叔母に見つかり、森に連れていかれ、「アラを見つけて小言を行ったり、告げ口をするものではない。ケチな根性では立派な人になれない」と、いわれて心を入れ替えます。
 その後、大叔母の言葉をきっかけに、「功は人に譲り、責は自ら負う」、「善を称し、悪を問わず」という想いを持つに至り、一生変わることはなかったそうです。

 東京に出て、住み込みで学校に通うようになると、「玄関で”頼もう”といわれれば、”どうれ”と答えるものだ」など、都会での生活のマナーも同時に学んでゆきます。

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