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<本多静六博士のエピソード・その5(ドイツ留学と博士の道)>

 卒業後4年間ドイツ留学を許すという条件で詮子(せんこ)と婚約した清六。留学中に思わぬ事件に巻き込まれます。留学費用を全額預けていた銀行が倒産。養父からは、「自分の力で何とかしてくれ」と、いうものでした。

 そこで清六が考えたのは、4年を2年に短縮して学んでしまうという方法。朝6時から夜8時まで、毎日講義を聞き、3時間睡眠で乗り切ります。せっかくだからと博士(ドクトル)を取得するためミュンヘンへ。
 ドクトルの資格を取るには、①論文、②面接 、③演説の3つの試験に合格しなければなりません。
 ところが、面接に必要な知識がまったく頭に入ってきません。これは、腹を切ってわびるしかないと考え、切っ先を腹にあてますが、なかなか先に進みません。「そうだ、死ぬのはいつでもできる。死んでは出来ないことをやり遂げるのが本懐なのだ」と考え、本とにらめっこしていたところ、2週間で本をすべて暗記してしまいました。

 演説は大きなホールで行われ、事前に新聞で告知され、大賑わい。書記官長の2頭立ての迎えの馬車に乗り込み、拍手喝采。帰りの馬車は投げ込まれた花束でいっぱいになります。

 帰国後、東京大学の先生として働きますが、2つのことを自らに課します。①給与の4分の1は先に貯蓄に回し、残ったお金で何とか生活すること、②1日1頁の文章執筆をし、知のアウトプットを行うこと。これが功を奏し、淀橋税務署管内で1番の長者になり、書籍も大小合わせて300冊を出版しました。

 また、”職業の道楽化”を唱え、この考え方に感心した同郷の渋沢栄一は、「働くのが道楽という老人がいて、お金は道楽のカスだと言っている。大いに職業を楽しんで、道楽のカスのお金を溜めなさい。」と、あちらこちらで紹介したそうです。

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