見出し画像

「塵も積もれば山となるって言うだろ、あれは嘘だ」

人生は選択の連続だ。
どちらかを選べば、選ばなかったどちらかの未来は無くなる。

今振り返ればなんてことなくても、当時の自分にとっては人生を決定するような分かれ道というものが、生きていれば何度か訪れるものだ。
どちらもやりたいのに、どちらかしかできなかったり。
自分がやりたいのはこちらなのに、周りからはあちらが良いと言われたり。
やりたいとやるべきを天秤にかけられても、そんなの決定できないじゃないですか。
ありのままの自分と求められている自分、片方を押し殺したことは一度や二度じゃないですよね。

画像1

大学生のわたしも、人並みにそういった分かれ道に直面した。
就職とか進路とかそういうものを全部ひっくるめた「これからどう生きるか」みたいな問いだ。いかにも大学生らしい。

一方は、自分がやりたくて、周りも求めてくれているであろう道。
もう一方は、やりたくはないけれど、こちらの方が“正しい”んだろうなと頭ではわかっている道。

普通に考えれば、やりたいことをやれば済む話なのに、どうしたって最後のところで、正しいだろう道が頭から離れない。
多くの友人は、やりたいことをやった方が絶対いいよと後押ししてくれる。あなたの決めた道を応援するよ、とも。
そうやって少しずつ応援団を増やすことで、安心しようとしていた、のかも知れない。
一人で決めたんじゃない、みんなで決めたんだから間違いないと。

画像2

とある先輩にも話を聞いてもらった。とても尊敬している人。

すらりと背が高く、切れ長でうっすら琥珀色の瞳をした人だ。獲物を狩るネコ科のように、鋭く、深く人を見る人だった。
いつも、本心を見透かされているような気がして、対面すると少ししどろもどろになる。お世話になって、尊敬しているけれど、ちょっとだけ怖い。背筋が伸びる。

まあ座れよ、と向かいの席を勧められた。
座るや否や開口一番、悩んでるらしいじゃん、と。
既に先輩のペースだ。

なあ、山がどうやってできるか知ってるか?

突然、山の成り立ちについて聞かれ、虚を突かれる。どう返答したら良いか決めあぐねているわたしにお構いなしに、先輩は続けた。

画像3

塵も積もれば山となるって言うだろ、あれは嘘だ。
塵は積もっても塵にしかならない。強い風が吹けば簡単に吹き飛んでいってしまう。

——きゅっと胸がつまる。

じゃあ山はどうやってできるか。大陸のプレートとプレートがぶつかって盛り上がってできるんだ。大きなエネルギーで内側から盛り上がる。理科の授業で習ったろ。
人間も同じだと思うんだよね、俺は。
何か大きなことを成したい、大きく自分を変えたいって思うのなら、ここぞという時、地道にコツコツなんて考えは捨てて、どかんと一発、何か大きなことをやってみろよ。大きなエネルギーを出してみろ。


先輩は結局、どちらに行けとも言わなかったし、わたしの考えを肯定も否定もしなかった。
けれど、十分だった。
今までは、自分の選択を後押しし、大きな理由づけをしてくれる人の存在を求めていた。一人で決めたんじゃないから、って思えたから。
応援団は、責任逃れのためのずるい方便だ。自分の人生の責任をとってくれるのは自分しかいないのに。
それなら勝負に出てみようか、と思った。今までのわたしなら選べなかった方へ。
先輩は誰よりも乱暴で、でも温かかった。

画像4

あれからも何度も選択をし続けて、わたしの今がある。
正しさだったりやりがいだったり、時に面倒くささだったり、その場その場で選択して、少しずつ歩いてきた。
ここ一番の時にはいつも、琥珀色の瞳をした先輩の、不敵な笑みが思い浮かぶ。

塵も積もれば山となるって言うだろ、あれは嘘だ。
どかんと一発、大きなことをやってみろよ——


*****


このnoteは、鶴さん(@dmdmtrtr)がお声がけしてくれた年の瀬にエモ散らかし隊 Advent Calendar 2019の一環の記事です。

前日12/1はひげこいさん(@45house_hige)の記事です。

翌日12/3はクリハラさん(@kurit3)の記事です。


サポートをいただいたら、本屋さんへ行こうと思います。