だから、ちょっと一息
心が慌ただしく動いている時ほど、体や身の回りまで、慌ただしく、ぼろぼろになってしまう。
たたまずにソファに投げ出した洋服、うっすら水垢のついたコップ、先週も出し忘れた燃えるごみ。
部屋のあちらこちらで、日常が限界だと悲鳴を上げている。
やりたくないのにやるべきことばかりが重なり、冷静な判断がどんどんできなくなっているような気がする。
できなかったことを数えて、またできないと決めつけて。
どんどんと、自分の生きていける範囲を、自分で狭めていってしまっているのではないか。
ずっと何かに追いかけられているような、嫌な緊張感。やっと今日を乗り切ったと思いながら眠りについた日は、一度や二度じゃなかった。
社会人になるって、もっときらきらしてると思ってた。
ああ、こんなはずじゃないのに。
わたしの心を映したような散らかり放題の部屋に、そんな独り言が少しだけ響く。
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ちょっと一息ついたら?
そう、久しぶりに電話した母はつぶやいた。
母からの連絡はいつもメールだ。
次の帰省はいつ頃?
こないだの台風は大丈夫だった?
生活費、振り込んだから少しだけど足しにして。
ありがとうとか了解とか、わたしも大抵の返信はメールで済ませてしまうけれど、時折、電話をかける。
母に電話をかけるのは、その方が用件が伝えやすいからのときもあるけれど、単に電話がしたくなるからだ。
「お疲れ様、元気?」でいつも始まる母との電話。
元気だよ、と返すときの半分くらいは、ほんの少し嘘をついている。
話しているうちに、言わないでおこうと決めていた追い詰められている自分が、こぼれてしまう。
母がそういうものに気付くのは敏感だ。
ちょっと一息ついたら?
電話を切り、言葉通り、いつもより深く呼吸してみる。
呼吸が、生きていくリズムが整えられるようだった。
追いかけてきていた何かが、すっとどこかへ消え去っていき、自分のペースで歩いていけるようになる。
張りつめた毎日に、ちょっとだけでも、一息つく時間をつくろう。
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例えば、あたたかいお茶。
体の隅々までじわっと優しいあたたかさが広がり、茶葉の良い香りが、鼻を抜ける。
茶葉からいれたものでなくても、あたたかいお茶というだけでほっとできるのは、日本人でよかったなと感じる。
例えば、湯舟いっぱいに張ったお風呂。
一人暮らしが長いこともあって、シャワーで済ませることが多くなってしまっていた。湯舟を張る前は面倒さが勝っているけど、いざ入ればこれほどなく極楽だ。
スマホも何もかも投げ捨てて、音楽もかけず、肩まで湯舟に浸かって、目を閉じる。やるべきこととか悩みごとと、程よい距離間で向き合えるのは、この時だけかもしれない。
例えば、真夜中の帰り道。
仕事に疲れ、俯きがちに歩く帰り道、ふと見上げた時。
昼間ほど明るく世界を照らしてくれるわけではないけど、確かに煌々と、輝いている。
無かったら、もっと真っ暗なんだと、進むわたしの背中を押してくれている。
きれいだな、とつぶやけたときは、わたしの心に一息つく余裕ができたんだと思う。
普段は見過ごしてしまうような、無くても変わらないんじゃないかと思うものたち。
わたしが見てないだけで、わたしの周りは思ったより、ちょっとしたあたたかさや明るさで溢れているのかもしれない。
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明日は月曜日だ。まずは燃えるごみを忘れず出そう。
心の慌ただしさを、ひとつずつ落ち着かせよう。
ちょっと一息ついて。