年齢
齢九十。15年ほど診させて頂いているご利用者だ。持病によるふらつき、震え、ダブって物が見えたりとベーシックな症状があり、その現れ方が毎日グラデーション的だ。常に転倒の可能性が高い。
動き出すと危なっかしいなぁと思ってしまうが、座っていると全く持病があるなどわからず、むしろ若々しく見え70代くらいの容姿だ。ご家族の支えもあり、家事や庭の手入れなど時に転倒しながらも自力で生活している。
とある日の施術中の会話。実際の動きを見せながら「こんな感じでしゃがみ込んだ状態から最近、さっと立てないんですよね、腹筋が弱いから?」という何気ない質問が。質問者は一御利用者だ。わかっている。できていたことができなくなってきているという不安とそれに伴う素朴な質問なのだ。わかっている。しかし、どうも特定の筋肉が弱いからこの動きに問題があるという考えに馴染めないのだ。特定の筋肉だけが衰えるそんなわけはないて思ってしまう。同時並列的に人間は動いている。全体で動いているはずだ。
素人相手にこんな心境を抱くとは未熟すぎる。
さらに、未熟さを露呈してしまう。
「齢九十でその立ち方ができる人を見たことがない」と、脚力しっかりしていますねという意味で返答し、「無理な態勢で立ち上がるのではなく立ちやすい立ち方で立ってくださいね」とアドバイスをしてしまった。
その場はお互いに笑って話しが流れ去った。
ふと、思い返してみると本人にしてみたら、年齢とか関係なく、できていたことができなくなっていく哀しさが大いにあったのではないか。間違いなくそうだろう。
年齢で大雑把に区切るなんてやってはいけないことではなかったのではないだろうか。無意識に傷つけるパターンではなかっただろうか。
身体は個体差が大いにある。
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