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再現性がなければ科学じゃないのか?労働経済、労使関係、制度経済学を想う

労働経済と労使関係、制度経済学の違いについて表になってた参考文献があったんだけど、どこにあったのか忘れてしまった、、、

何かっていうと、制度経済学とIRとしての労使関係論は、組織間、個人間の利害調整という、「再現性の乏しいもの」が研究対象であるために、それが科学であるのか、という批判にさらされがちだ、ということを一覧にして労働経済や新古典派経済学と比較していたものだった。

「再現性は乏しい」。しかし、だからこそ、社会全体とか、人間の生き方、のようなものを研究の視野に入れることができる。

一方で、労働経済は、数値化された、もしくは数式により、「再現性」を重視するものとなる。

たとえば、データドリブン人的資源管理、とか、タレントマネジメントとか、人的資本経営というものも、労働経済と同じ範疇にある。

データドリブン人的資源管理とは、こういうことをやったらこうなったという数値を使って、将来を予測しながら経営に活かすもの。

タレントマネジメントは、うちの人材の一人一人はこんな能力があるから、それを足し算すれば、こんなことができるというもの。

人的資本経営は、こんだけのお金をかけて採用や訓練をしたのだから、従業員の能力はこれくらいになっていて、資産として数値化できるという会計学が基本になっているもの。

これらはすべて、「利害調整」という目に見えず、再現性が乏しいものを排除して、ひたすら、数値と数式により、再現性を追求して、労使関係とか、人事管理を、「いわゆる」科学にしようというものだ。

だが、同時に、そうすればそうするほど、労働者は企業の内側から離れられなくなる。関係性で言えば、どんどんと、企業と労働者だけの二元的なものになる。

たとえば、データドリブン人的資源管理だと、データ化できるもの、つまり、過去にあった出来事しか対象になりようがないし、労働組合との交渉とか、企業を取り巻く予測できないこと、たとえば環境保護NPOの訴えとか、従業員が企業活動以外の社会での役割や責任みたいなものは、視野の外に置かれる。

タレントマネジメントは、個人ベースで能力を見るので、だれかと組み合わせたときにどんな能力を発揮するのか、といったことがみれないし、そもそも、タレントとしてスケール化したもの以外はわからない。

人的資本経営は、人材育成と能力を数値としてしか捉えないし、そもそも人的資源管理や労使関係、企業経営、企業を取り巻く環境とそこに対応する能力、なによりも、個人ではなく組織としての能力などが数値化てきるのかなど、およそデータドリブンが持っているものと同じような課題が山積みとなる。

それらの課題を簡単にいうと、社会とか家族とか、さまざまに人間がもつつながりを数値化できると過信して、企業というミクロなものだけに繋ぎ止めるものになるということだ。

それは、日本の労働行政も含めて、大流行りしている行動経済学も同じだ。こうインプットすればこんなアウトプットになるが、ほんとうにそうなのか?ということだし、そもそも、そんな再現性に委ねてしまうことが、人間としてとうなのか、ということを見落としてしまう。

そういうふうに僕らは生きているのか?そんなことはない。1970年代には70年代の、現代には現代の文脈のなかで、人は生きているし、人はいろんな関係性のなかで、企業や地域や家族とのつながりを持って、それは大きな「慣習」のなかにある。

この全体像に、再現性があろうが、なかろうが、社会をシステムとして、そしてうつろうものとしてとらえる、捉えようとし続けることこそ、科学であるはずだ。

なんてことを考えたりする。

あ、だからその参考文献を探さないといけないわけで

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