自分らしさ

最近、読んだ本で「自分らしさ」についてこう書いてあった。

「自分らしく生きろ」という、一見すると子どもたちを勇気づけるように聞こえるメッセージは、実はその本音のところでは「はやく『自分らしさ』というタコツボを見つけて、そこに入って、二度と出てくるな」といっているんじゃないでしょうか。

僕は、自分らしくいる事に対して呪縛のような苦しさを感じることもある。例えば、アスリートを目指していた時。あの頃の自分はもっと上手くプレーできた、体が動いていた、いつもの自分ならあんな選択肢なかった。

自分らしさを大切にし過ぎると、自分らしさの中に囚われ、変化することから無意識的に逃げてしまう。システムという言葉の怖さは、逸脱を許さないことにある。自分らしさというシステムを構築する上で気を付けなければいけない事は、変化を想定していての"自分らしさ"なのかという事。

一度エラー判定をされれば除外され、二度と戻れないシステムを構築した途端、変化を許す余地が無くなり、心の余裕も無くなる。

昨日の自分が正解であるかの如く時間を使ってしまう。

この生き辛さは何なんだろうか。

「自分らしさ」がさも自由の象徴として語られるが、「自分らしさ」なんかより、「身の程の知らなさ」こそが重要なのかもしれない。

そんな気づきがありました。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?