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支え合う関係を支える支え

こんばんは。Kenuです。

風邪が治ったばかりというのもあってか、子供のご機嫌がすこぶる悪かったんです。
イヤイヤ期のピークは通り過ぎ(たぶん)、最近は滅多にないのですが、ボルテージが高まると力任せに壁や床に頭突きをします。
その日は本当に何かスイッチが入ったみたいで、保育園の帰り道に暴れ出し、ほとんど担ぐように帰っていたのですが、落ちそうになり、一度おろした隙に地面に思い切り頭突きをしてしまい、自分で頭突きしたくせに痛がって大泣き。
僕のメンタルもその頭突きによって久々に砕け散りました。

なんとか家について、これ以上子供と一緒にいたらもうヤバイと思って、僕は子供を奥さんに託し、ちょっと気持ちを落ち着かせるためにマンションのラウンジに避難しました。

砕け散った破片は、自分で集めなきゃいけないし
その修復だって自分でやらなくちゃいけない。
起き上がりこぼしみたいに、倒れても自分の力で起き上がらなくちゃいけない。

そんなときに、ふと思ったことをポストしたのがこれです。

書いてて、思ったのは
「なんか、早口言葉みたいになっちゃったな」
って感じだったんですけど、結構ぽんぽんと皆さんから反応をいただき、あ、これは結構共通のテーマなんだなと思い安心したのと、皆さんのコメントを読んでいるうちにどんどん考えが深まっていったので、noteに書き出している次第でございます。



「2人で」なのに3人目

「2人で一緒に支え合って生きていこう」
みたいなことを僕は言ったことはないけれど、そういう心づもりはもちろんあるし、フレーズとしてはよく聞く。
すごいまどろっこしい表現になってウザいと思うんですけど
2人で一緒に支え合って生きていくための支えが必要になってしまったら、それは支え合って生きていけてないってことなんじゃなかろうか。
2人で支え合って生きていこうなのに、その3人目の登場人物なに???
ホラー??
3人目の登場人物が入り込む余地が出てきた時点で、その2人の関係はもうおかしいってこと?

でも僕のスタンスとしては、支えは多いに越したことはないと思う派。
今回考えを文章化することで整理ができてきたけど、主語の問題なんだろうなと思って。
主語が個人なら話しは単純だったのが、「支え合う関係」みたいな概念的なものを主語に置いてしまったから難しくなっちゃったんだ。と。


結論

2本の支柱(例えば夫婦やカップルなど)はあくまでも2本で支え合う必要はあるんだと思う。
ただ、それぞれの支柱の強度や安定性を増すために、それぞれの支柱の支えは必要だと思う。
お互いを支え合う接地面を強化する努力は2人にあるけれど、それぞれが地面と設置する部分の強化はそれぞれの努力と責任の気がする。

だから、支え合う関係の支えっていうのは、あくまでも個々の支えの結果論なのではないだろうか。例えば愚痴を聞いてくれるそれぞれの友達。とかがそれに該当するように。
ただ、子供とか、お互いの親(関係性がよく、機能する親であればだけど)とかは、支え合う関係の支えになり得る特殊事例かな。

というのが僕の今回の着地なんですけど、どうだろか。
我ながらなかなかスッキリした結論が出た気がする。


で、本題はここからで問題は
既婚Bの僕にとっての支えって、なんか結構複雑じゃない?ということ。

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