交野地図探検 その1(私市1丁目)
こんにちは。
前回の投稿で、交野市の都市計画地図を大阪市内と比べてみました。
その中で気になったところをいくつか発見したので、地図を見ながら実際に訪れてみようと思います。
僕は交野市の妙見坂地区というところに住んでいます。
4年前に大阪市内から引っ越してきました。
交野市に住むのは初めてなので交野市のことに詳しいわけではありません。
ましてや都市計画などの専門家というわけではないので、いち住民のぶらりまち歩きの視点という程度でお付き合いいただければと思います。
今回訪れてみようと思ったのはここ。
拡大するとここ。
京阪電鉄河内森駅の南東側のエリアです。
googlemapの航空写真でみるとこんな感じ。
「松寶寺池」というのがエリア内にありますね。
日常生活で、河内森駅や私市駅は利用しているのですが、家が駅の西側のため、駅の東側というのは4年も住んでて全く行ったことがないことに気が付きました。(徒歩10分圏内なのに。。)
松寶寺というお寺も池があるということも全く知りませんでした。。
googlemapで見る限り、駅の南側から松寶寺池にかけて農地が広がっているようです。
ところでなぜこのエリアが気になったかというと、都市計画のエリアの線の引き方が特徴的だったからです。
住宅街のすぐ裏側にある山のエリアはgooglemapですぐ見てとれます。
住宅地の開発を促進するのであればこのエリアも市街化区域のエリアに
含みそうなものです。
エリアの北側に天田神社があって、その周辺の住宅地も市街化調整区域内になっているので、このエリアに住む方たちの農地として開発されないように線引きしたのかな?とも思えます。今度調べてみようと思います。
住居表示も私市1丁目となっていることから、ここが私市の中心地だったということですよね。歴史を勉強していくといろいろ見えてきそうです。
早速ぶらりと散歩してみました。
まずは松寶寺池を目指します。
4月の桜が終わる時期に歩いたので、桜が散りかけです。
もう少し早く訪れれば桜が見ごろでした。
地図からは分からなかったけど、南北でかなりの高低差があります。田畑も傾斜に沿って棚田のように段差ができています。
私市駅や河内森駅を降りて歩いてみると分かるのですが、まわりは住宅街です。ポツポツと田畑は残っているのですが、ここまでまとまって見える景色というのは、私市・河内森周辺ではおそらくここだけではないでしょうか。
大阪市内から引っ越してきて感じたのは、交野は空が広いなということでした。それはきっと歩く先々でこうやって建物のない空間が広がっているからこそだと思います。
松寶寺池と松寶寺。(早朝の朝日で写真失敗)
池の南側も住宅が少なくのどかな風景です。
松寶寺についてもまた歴史を調べてみたいです。
しばらく歩くと、天田神社に到着。
由緒を読むと、この地方は作物が豊かな土地で「甘田」と呼ばれていたとのこと。そこから甘田→天田となり今の天田神社となったと。天野川も元々は甘野川だったんですね。
歴史ある神社と地域の街並みが、神社だけでなく農地も残っているというのは当時の風景が想像できてすごく良いです。
由緒に「古墳群」があったと書いてあったので、帰ってから交野市HPから
埋蔵文化財を調べてみたところ、「森古墳群」というのが発見されているというのが分かりました。古墳は甘田神社の裏の山側につくられたのでしょうか。自分の住む近所に古墳があったとは思いもしませんでした。
今回は私市1丁目を歩いてみました。
普段で見ているまち並みがこんなにも歴史があるまちだったということは、普段の生活からでは想像できませんでした。
自分の暮らす日常の風景が歴史を紡がれた先にできたものだと思うと、日常の風景がちょっとおもしろく感じます。
交野市に移住しようとした、ほんのちょっとした理由のひとつに
「水がきれい」
「酒蔵がある」
ということでした。
自分の生活には直結した理由ではないけど、
水がきれいっていうのは、大阪のような都市ではすごく貴重なことなんじゃないかと思っています。酒蔵があるというのも水がきれいということにつながってますね。今回訪れたまちなみと水については関係ありそうだなーと思っています。今後その辺りも調べていけたらと思っています。
では今回はこのへんで。
つづく。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?