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小学生から2ちゃんを覗いていた僕は、インターネットが大好きで大嫌いなんだと、今日やっと気づいた。

相変わらずお前は薄っぺらい偽善者だなと陰口を言われてもいい。薄っぺらな人間だなと揶揄されてもいい。薄っぺらいポエムだなと馬鹿にされてもいい。

今日、僕はインターネットが大好きで大嫌いだと気づいた

それに気づいたとき、何のやる気も出なくなった。折角の土曜日だ。本当はもっとやりたいことがあった。でも、ずっとベッドの上で寝ていた。何も手につかなかった。ひとつの無常のようなものを感じてしまった。

……

僕はインターネットに小学生の頃から親しんでいる。

僕と同世代の人なら分かると思う。クラスに一人はいる、やけにネットに詳しかったり、パソコンの授業の時にタイピングが早い奴。それが、僕だ。自分で書いていて笑えるけど。

褒められた話ではないが、小学生の頃に初めて2ちゃんねるを覗いて、「わ~こんな世界があるのか」と感動した。それから、いわゆる「ROM専」(見ることはするが発言はしない人)として、なんとなく2ちゃんねるを定期的に覗くようになった。

ここで一つ言っておきたいのが、2ちゃんねる、もとい匿名掲示板は世間が思っているほど悪い場所ではない、ということだ。同じ趣味や思想をもった人々が、「匿名」というある種自らの日常(≒キャラ)とは隔離できる空間で、思い思いのコミュニケーションを重ねている。「なるほど!」という価値観や、ユーモア溢れる人物に出会えることも珍しくない。

よく、匿名掲示板がネット社会の汚点のように扱われるのは、それは例えば料理包丁で人を刺す人が居るのと同じで、インターネット、そして匿名掲示板を悪い方向に使う人が居て、そしてなおかつその事件が多くの場合、センシティブな内容である為であろう。

ひとつの悲しみが起こったところで、それを無くすことは出来ない。料理包丁で素晴らしい料理を作る人だっている。その一方で、料理包丁で人を刺す人もいる。

「この道具を用いれば、人を殺すこともできる」というように、便利な技術、便利な道具の裏には、必ずといってもいい程、悪意のリスクが潜んでいる。教科書に載っているような、私たち人間の歴史。その中のほんの一部分を見ただけでも、それは明らかな話である。時代の進歩がなければ、拳銃も核兵器も生まれなかった。でもその技術の反対には、夏空に浮かぶ美しい花火や、レントゲン検査における医療の恩恵が存在している。

技術や道具を用いた悪意が犯す罪に対し、時に僕たちは批判的になりながら、ともすれば時に僕たちは他人事に捉えながら、社会はずっと不穏なままで続いてきた。きっとこれからも、泥船のように、曇り空のままで社会は続いていく。

……

さて、僕はインターネットに救われてきた。僕が音楽を一生の趣味にできたのは、YouTubeでたまたま目にしたBUMP OF CHICKENのMVがきっかけだ。家族会議で、高校生の間、ライブハウスでのライブが禁止されていた僕が、唯一の音楽を披露する場になったのもYouTubeだ。そして、そのYouTubeの動画がきっかけで、インターネットテレビ・ABEMAの番組にも出演した。中学生・高校生・大学生と、コミュニケーションの中心はいつもインターネット上にあり、インターネットが無ければ出会えなかった人たちが、沢山いる。

だけど、僕はインターネットに傷つけられてもいる。YoutubeやABEMAを通じてインターネットに投げられた僕への、ほんの一部の、批判的なコメント。「気にしてない」と言ってみてはみたものの、確実に僕の心の深い所に今でもあって、今でもたまにその言葉たちは、意地悪に僕に語りかけてくる。

なにも批判コメントに限った話ではない。頑張って作った曲の再生回数が伸びない。とか。自信のあったツイートの反応がすこぶる悪い。とか。今日も何故かフォロワーが減った。とか。親友の意地悪いツイートに心を痛めた。とか。SNSに映し出される昔の同級生の生活がキラキラしていて悔しい。とか。

……

非常にめんどくさい性格の僕は、めんどくさい性格だからこそ、インターネットに安らぎを求め、実際、居場所を見つけられた。その一方で、インタネットに傷つけられてもいるのだろう。

きっとそんな人間は、僕だけではない。Twitterのアカウントを作成した人。Youtubeのアカウントを作成した人。このnoteのアカウントを作成した人。インターネットを使っている人は、なんらかのメリットを見込んでインターネットサービスに手を出す。そして、表裏一体に存在するデメリットに、僕らは時に胸を痛める。

そんなことを、何となく考えて、何となく絶望した、今日だった。

……

インターネットで拡散される、有名お笑い芸人の取り返しのつかない失言。そして、それに対して自殺を迫るような形相で「批判」する人。

エンターテインメントであるはずのテレビ番組に気分を害され、その出演者へ直接執拗に誹謗中傷する人。そして誹謗中傷する人を誹謗中傷する人。

一国のリーダーに対し、批判と銘打って度の越えた人格否定を行う人。(注:僕は今の日本の首相を支持も不支持もしていない。コロナにおける首相の対応は正解とは言えない。しかし、今、首相が変わるのも正解ではない、変わったところで適切な代役が居ない、と考えている。この意見に対して批判が来ようと、僕は一貫して返答、反論する気はない。)

もともと曇り空の中にあるインターネットが、このコロナ禍において、さらにその灰色を濃くしたような気がしている。

その灰色を薄めるような行動を起こすほど、僕に元気はないし、そもそもそこまでの影響力は皆無だ。

ただ一つ言えるのは、

僕はここ数日、先述したようなインターネット上の息苦しさに辟易しているということ。

そして、その一方で、「VR渋谷」企画をきっかけに、バーチャルSNS「cluster」の存在を知るなど、インターネット社会の未来に希望も抱いていること。

である。

僕は、インターネットは辞めない。

インターネットが好きだからだ。

だけど、僕はインターネットを辞めたくなった。

インターネットが嫌いだからだ。

この類の矛盾している気持ちというのは、きっとこれからもずっと抱えながら生きていくものなのだろう、と思う。

だから、この文章に結論などない。結論など出す必要がない。

しかし、皮肉にも、大好きで大嫌いなインターネットから発したこの拙文が、

似たような気持ちを持つ、誰かの心に届いたら幸いだ。

ヨシダケント

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