プチ炎上

プチ炎上をした。
ウクライナ侵攻に対して武器供与することに対して『平和の象徴である日本がやっても大丈夫なのですか?純粋に疑問でした』とリプをしたら、

「中国の手先なのか?」
「日本は平和の象徴でなく平和ボケだろう」
「正常性バイアスにかかってる可能性ありますね」

などの返信が寄せられた。



個人的には、
・被爆国であり戦争を放棄した日本が武器を供与することは、国際社会からみて「戦争しない方針を手放したのか」と見做されてしまう
・逆に『日本は自国で戦ってもよさげなスタンスだし、いいよね』と米国に思われて日米同盟が機能しなくなったり、中国諸外国に『武力による正面衝突問題ない』と思われてしまうことでどんどん侵略される流れができたり他の国からも擁護されなくなったり

といった悪い方のシナリオも視野に入れて「平和の象徴」と表現したつもりだった。

が、憲法9条を破棄することに賛成の人や、反ロシア感情が強い人からすると、『何が平和の象徴だ!!先進国としての責任を、被爆国だからという理由で回避し続けてきただけだろ!!』と思ったのだろうと思う。

はっきり言うが、私はロシアのやり口には反吐が出るほど憤りを感じるし、出来るのならウクライナに武器供与もしてあげた方が良いと思う。
しかし、世界唯一の被爆国であるという事実やそこから平和第一にして生きてきた背景を無視していきなり武力に走るというのはいささかやりすぎじゃないかと思っただけだ。

極論、核だって持たないよりは持った方が安全なのはわかる。
だがそれを簡単に国際社会が許すのか。
そんなことしたら経済制裁だってされてしまうのではないか。
日本は海外に頼らなければ産業だってままならないはずなのに、結局また逆戻りして武力イケイケドンドンに急転換するのは違うだろと思うわけだ。

色々と自分の中で心配事があったのは確かだが、知識が不足している中で生きすぎた発言をしてしまったことは否めないと思うので、至らない点は反省したいと思う。
今回のことで「防衛装備移転三原則」の詳細も初めて知って、自身の世間知らずさは身に染みてわかった。

だが、とにかく人が必要以上に痛い想いをしたり、一方的に苦しめられたり、話し合いをする努力をせずに暴力に走るのは違うという意見は常に軸として持っておきたい。

痛いのは我慢できないだろう
大切な人が傷つけられることには耐えられないだろう
戦わないで済むならそれが一番だろう
人を傷つける行為は自分だって時に傷つけてしまうだろう

「人を傷つけた自分」のことを、当人はずっと分かっているわけだから。
その事実を直視して生きるのはさすがに辛いだろう。
生きている限り自分からは逃れられない。
自己認識や自己評価の感情からは逃れられない。受け入れるしかない。
その感情を永久に逃れるために、自死という手段に走って簡単に逝ける構造には出来ていない。

そんな風に考える。
人によって価値観が異なる部分はあるんだろうな、こういうデリケートな話題は。





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