心から思うってなんだろう【雑記】【疑問】

心からの氣持ちって何だろう??

好きな曲を例えにして考えてみる。

「この曲がすき」を示すのに手っ取り早いのは、「この曲」をどれだけ聴いてるか、どれだけ知ってるか、どれだけ語れるか、などを元に判断できそうだ。

なぜこんなことを考えたかというと、「親に心から感謝」というのはどういう状態を示すのか氣になったからである。

空想で、「僕は心から父親に感謝できてない氣がする」という氣持ちを打ち明けるシチュエーションが浮かび上がった。
そこでの僕はこう言っていた。

『どうせ感謝するなら、心から思った状態で感謝したい。「亡き親に感謝する」という思想や姿勢は往々にして美しいから人からは受け入れられる。だからと言って、口先だけで言いたくはない。綺麗事として言いたくはない。』

ここで一つ疑問が浮かんだ。
「心から思った状態」って何だ?

「亡き人に心から思った状態でその気持ちを表す」というのはどういうことだ?
誰に示してる?当の本人は亡くなっているのに。

感謝という行為そのものが心理学的に効果があるならやる価値はあるなと思うが、思ってもいないことを発言したり態度で示し続けることなんてできるだろうか?

できるかどうかは別として、やることは可能かと思われる。心にないことを言っても、口先を動かすことはできるから。

では、果たして「心から思った状態」にはいつなるのだろうか??
そもそも、その状態になりたいと思ったことはあるか?それを目指してきたか?
それも別に目指していないなら、行動をし続ける意味すらあるのだろうか?

ここまで色々と考えてきて思うのは、「心から思った状態」とはよくわからないということだ。

よく分からない以上、定義しようもない。定義できないのなら、逆算することも不可能では?

そもそも、そんなに心から思って接している物事や人なんてあっただろうか?

例えば、いつも持ち歩くスマートフォンはどうか?役に立ってくれてるし、生活には必要だろう。肌身離さず持ち歩く。こういうのは「心から思った状態」ではないのだろうか??

他の必要なものというと、火や水はどうか?必ず沸騰し生活の助けをしてくれる。身体に入れれば水分補給ができ、今日も明日も生きていくことができる。
これらに対する思いはどうか?

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