気楽さ@漫画喫茶
先日、祖父母がいる実家に帰った時に、祖父に色んなことを言われた。
その中でも印象的なのを書いておきたい。
祖父は少し怖い顔をしながら、
『昔消防士の試験の世話をしてくれた親戚には金銭を報酬として渡したのか?本来はあそこまでしてくれる人はいない。金が掛かったっておかしくはないんだ。』
と言った。
過去にそれは別の人から指摘されたことであり、指摘された当時に僕は反省したつもりだったので、
「それは言われたことがあって、反省したよ。」と答えた。
そうすると祖父はそこまで言及してこなくなった。
今言ったことは、僕はもう何度も考えたことだった。
『消防士試験を自分の力では合格できなかった』
『当時の自分は知識も能力も確かになかったけど、それでも駄目なヤツだった』
と自責の念はたくさん抱えてた。その念に駆られることは美しいことかもしれないが、不毛なことでもある。ストレスで心をすり減らすだけだ。
だから祖父に言われた時は、
『今さらかよ』
『そんなことは俺が一番わかってんだよ』
なんて思いながら祖父に言い返していた。
感情が昂った僕は「だから人に恩を売るのが嫌になった。」という悪態すらついた。
祖父は『もっと気楽に生きろよ。』なんて言ってきたけど、こちらからしてみたら親族だから、家族だから、気軽に関われるなんて理屈には納得出来ないのだ。
「その人らの親戚に好きでなったわけじゃない。」
「その家に好きで生まれてきたわけじゃない。」
「育つ家庭環境も時代も学校も選べるわけじゃない。」
「僕を生んだり育てたりする選択をした人は、僕じゃない。」
そういう風に思ってたことをぶつけた。
そしたら、『もっと気楽に生きろよ』と祖父母両方に言われた。
なるほど確かに、気楽に話せる人は僕には一人もいない。
恋愛も結婚もしたことが無いから、同世代と異性の話をするのも避けてきた。それを嘲笑する人がいて、不快に感じたコンプレックスになっている。更に顔や身長も際立って良いわけでなく、過去の栄光話も無い。人生の目標、そういうものも特に無い。何回も同じ人と関わっていると気疲れをしていていつの間にか自分から離れてしまうことも多かった。
上述したことが理由で打ち解けた人とも関わりを避けていたし、意味が無い会話をし続けるのが得意じゃないのもあって、気楽に関われる人は一人もいないのだ。
こういうコンプレックスは生きている限り自分に牙を向いてくる。人との関わりで世の中は回っているし、外に出たら人しかいない。苦しい。ずっと苦しい。
だから見方を少しずつ変えていった方がいいなと思う。少なくとも生きている限りは。
つくづく、自らの意志で死ぬことが出来るサービスがあればいいなと思う。生まれてくるのは自分じゃ選べないから。
それに対して僕は
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