無職生活471日

随分と時間が経ったものである。

昨年営業支援フリーランスの仕事を半ば逃げる形で降りて、そこから燻ってる日々が471日も経過したとは。
一年を過ぎてしまったのである。

こんなん聞いた人は、人によっては嘲笑ったり軽蔑したり見下したりしてくるような、そんな人間に成り果ててしまったような氣がしてくる。

父が亡くなり保険金があったおかげで生存できているが、もしなかったら実家に身を寄せるしかなかった。
別に実家とは喧嘩してるわけではないが、考え方が合わない人とずっと一緒に生活していくのは苦しい。親族のために身を切って何かをすることにも抵抗感を覚えてしまう。『いつでも帰ってこい』と言ってくれるのはありがたいが、生憎私は帰りたいと思っていない。なんなら、長生きしたいとも思っていない。「自死」という選択肢が消失するのが怖くて、一人になれない空間にいる未来を選ぶのは嫌なのだ。

『あのときあ〜してれば』

という過去の悔やみはほとんど無い。
もし戻ったとして、もっと良いものに変えられたビジョンは描けないから。

だから今から何かをするしかない。社会に出て働いて人の役に立って、いわゆる「真っ当な人」にならなくてはいけない。
こんな風に焦燥感に駆られ続けて、過ぎてきた471日間でもある。

本を読んだり習慣を変えたりネットの時間を減らしたり、やれる範囲のことはやってきた。しかし限界を感じる。やっぱり人は誰かと協力して最も力を発揮できる生き物なんじゃないかと考えてきている。

ただ、「自死」という欲望は一向に消えない。「生きる決意」をすることが本当に嫌で仕方ない。

わがままを言ってると思う。世界にはもっと自分の運命を呪ってる人もいるだろうし、貧困に喘ぐ人もいるだろう。なんなら、『お前の命を寄越せ』と言ってくる人もいるかもしれない。
はっきり言ってくれてやりたいが、それは叶わない願いだ。

だから明日も生きる。今日寝て明日も生きている。

あ〜死にたい。

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