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やった者こそが尊いのだ

「なんのためのそれやるの?」
「それってリスクしかなくない?」
「無駄でしかないじゃん?」


うっせーーーーーーーーーー



現代社会にはいろんな生きづらさがあるけど、僕にとって最大の生きづらさは「失敗を未然に防ごうとする助言(のようなもの)」です。

僕は、この世の全てのことはやってみないとわからない、と思っています。
それゆえ「成功するかしないか」という議論そのものが不毛だと思っています。


わからないならやれ

結論はいつもシンプルな形に収まります。

だから、失敗をおそれる暇があったら行動してみたら良いのです。

タイミングは今この瞬間なのです。


しかし、そんな僕でもこの考えに落ち着いたのはごくごく最近、というより今もまだ過渡期。
20代の多くを「失敗こわい」「安心ほしい」という「ぬるま湯的感情」にどっぷり浸かりながら生きてきました。

失敗を考えたら怖いし、恥ずかしい。
人目を気にしがちな僕にとって、何か極端な行動を取るというのは、自分で自分の顔に泥を塗るようなものなのです。

だったら、安心安全な環境でぬくぬく過ごしたい。
だから僕はそこそこ安定している会社で働いていたのです。何か飛びこんだ後でさえ。

今年30を迎える記念すべき20代ラストシーズンを迎えている僕は、やっとこの世の中の生きづらさの真相であったり、生きやすい生き方がわかってきたような気がします。

そう、この世界やったもん勝ち



「言うは易し行うは難し」
昔から日本にはこんなことわざがあります(正確には故事成語由来の言葉ですが)。

口で言うのは簡単だけど、実際に実行することは大変難しいこと。

出典:小学館 公式サイト

ぺらぺらと有る事無い事言うのは簡単なものです。

人から聞いたこと、テレビや動画で知ったこと、本で読んだこと、それらをさも自分が経験したかのように人に伝える。
そこに自分が考えたことが含まれていても尚、それは簡単なことです。

しかし、自ら行動に起こすことはなかなかに難しいものです。

やりたいと思ったことや、人から指示されたりおすすめされたことなど、自分の意思で実行に移すことは多くの人にとってはストレスになる場合が多く、結果としてやらずに終わることがあります。

実際に経験した人の言葉に説得力が含まれているのは、その人しか見えていない景色やその人しか感じられない責任感が伝わるからです。

だから、僕にとって、信頼に値する人とは行動してきた人です。
調べるのが好きでいろんな情報を持っていても、実際に行動してない人には信頼を持つことはできません。少なくとも仕事の文脈では。



夢に向かって頑張ってる人に会うと元気が出ることがあります。
たとえその本人が悩みを抱えていても、僕自身はその人に会えたことでポジティブな気持ちになるし、心から応援したくなります。

人に良い影響を与えられる人とは、まさに動いてきた・動いている途中の人だと僕は思います。
もちろん成功していたら尚良いのでしょう。
でも、今成功してなくたって良いのです。
自ら考え、行動に移している人はもれなくキラキラしているし、悩んでいる姿さえも美しいのです。

僕自身も、そういった人に良い影響を与えられている人になりたいものです。



なぜ、人は失敗するリスクを避けようと思うのでしょうか?

そこには羞恥の気持ちだけでなく、お金の問題もあるのでしょう。

地獄の沙汰も金次第
お金の威力は大きく、神仏の気持ちまで動かしてしまう。つまり「お金さえあれば、何でもできる」。

そんな世の中だから、お金のことが気になってしまうし、無駄に使いたくないという気持ちが出てくるのでしょう。


じゃあそんな人々にとって大事な「お金」って何なんだろう?

いろいろと調べてみました。

お金は、本来はそれ自体(金や銀など)に価値があり、軽くて持ち運びがしやすいために物々交換をしやすくするための道具として発展してきました。

時代が進むにつれて、金や銀などは紙幣や硬貨などに置き換わる代わりに、お金は様々な価値を生むようになりました。

「資本主義」と呼ばれる現代社会では、衣食住から娯楽まで、多くのものがお金によって取引されています。
そして、お金は交換道具のみならず、自分自身の価値を他者から評価されるための道具にも使わるようになりました。

本来の意味からそれたことで、社会にとってお金そのものの価値が大きくなってきました。
そして、人々の感覚的な部分も狂うようになってきました。


やりたい仕事を諦めて、お金が稼げる仕事をする。
お金をたくさん持っている人こそが正しい。

現に、収入が違うと見える世界は全く異なるもので、たとえ同じ地域に住んでいても、食べる物・身につける物・関わる人の全てが異なると言います。
だから、自分の気持ちを捨ててでも、お金をたくさん獲得できるように頑張る。

これが現代社会の実態です。


もちろんこの資本主義は、努力が評価されると言う意味では上手く作用しているとも考えられているし、僕自身はそこを否定しません。
しかし、どこか生物としての人間本来の生活パターンからずれていることは否めません。

作家・森博嗣は、お金についてこのように考えています。

「最も自分の満足に近い時間とは、お金が減るとき」

出典:森博嗣「お金の減らし方」

それは、お金が貯まって、貯金の金額が増えることなどは、一時的な仮の状態だから。
つまり、お金は自分の満足と交換するためのものであって、価値があるのはその満足の方だからです。

いつのまにかお金の目的が、お金自体を持つことへの満足感に変わってしまったけれど、本来はお金とは自分の満足を満たす道具なのです

これが人間本来の自然な考えなのではないでしょうか。
僕はこの考えを知り、僕自身が資本主義にどっぷり浸かって本来の自然な感覚がわからなくなっていたことに気づきました。

お金中心から自分中心へ。
今、考えの転換を求められているような気がしています。



結局のところ、お金とか失敗を気にしているから、生きづらいと感じるのです。
そしてそれはつまるところ、人目を気にしているということでもあるのでしょう。

元々人目を気にすることとは、社会の中ではごく普通にあったものです。
しかし、それに加えSNSの登場で他人の行動が簡単に見えるようになったことで、よりその傾向が促進されました。

別にSNSをやめる必要はないと思うし、そもそも社会生活からは逸脱できません。
だから、自分自身がスタンスを変えて自分が生きやすいように生きていくしかないのです。

それこそが「行動」にあると思うのです。


自分がやりたいことをやる。
失敗してもいいからやる。
誰が見てもリスクはあるように見えるけどやる。
人に迷惑をかけるかもしれないけどやる。
無駄だと思うけどやる。
なんとなくでしかないけどやりたいと思ったからやる。

成功か失敗かではなく、やったかやってないかが大事。
いくらお金稼げるかとか、いくらお金持ってるかとか、そんなもの気にしなくていい。

人に迷惑かけたら土下座でもすればいい。
説得するより許しを請え。

人に助言のようなものをしている暇があったら、あなたがまず動こう。
泥水すすって説得力を獲得しよう。



残り3週間。

何が起こるかわからない20代最後のワーキングホリデーに向けて、僕の中に不安な気持ちが大きくなってきました。
だからこそ、この新たに生まれた大切な価値観を頼りに、捨て身で飛び込んで行こうと思います。

やった者こそが尊いから。

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