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若者が動かす香港

香港という地域について日本人はどれくらい知っているのだろう?

一般的なイメージは、看板が道路にせり出したネオン街、旧啓徳空港への香港カーブ(今はない)、ジャッキー・チェン、高層住宅群、中華料理・飲茶、100万ドルの夜景、九龍城などなど。

その香港が今、政治的に危険な状態になっていることはご存じだろうか?

僕が香港について興味を持ったのは今から5年前、ふとテレビのニュースで見た若者による大規模デモ運動の映像でした。

外国のニュースを見てもどこか他人事に感じていた自分にとって、雨傘運動と呼ばれるその大規模デモの映像を見た時、脳裏に突き刺さる強い衝撃を受けました。

それ以来僕は香港の情勢について興味を持つようになり、書籍を読んだり、特集された番組を見たり、実際に現地に行ったりしました。

その雨傘運動で若者たちをリードし、中心に立って民主化を主張していたのが「民主の女神」こと周庭さん。

現在、香港眾志(デモシスト)という政党のメンバーとして香港の民主化に向けた活動をしている周庭さんが、今回東京大学にて特別講義を行うということで、観覧に行ってきました。

香港は、中国南部の深圳(シェンジェン)に隣接した地域で、九龍(ガオルン)半島と香港島を含む島々から成り立ちます。正式名称は「中華人民共和国 香港独立行政区」。
1997年にイギリスから返還された際、「一国二制度」と呼ばれる独自の制度を適用し、独立行政区と呼ばれる中国本国とは別の行政地区とすることとなりました。
それにより、経済だけでなく、政治の仕組みや法律などが中国とは異なった独自のものを採用しています。

そんな香港は近年、中国本土(共産党)からの圧力を受けている状態にあります。

2012年に国民教育と呼ばれる中国愛国教育が教育の場に導入されたり、
2014年に行政長官(香港のトップ)を決める選挙が全人代(全国人民代表大会=中国の国会)によって制限がかけられたり、
一国二制度が崩壊されかねない政治介入が行われています。

2012年の国民教育反対運動は若者を中心に広まり、香港中心部にあり、香港政府が位置している金鐘(アドミラルティ)では、返還後最多の約9万人によるデモが広げられました。
そんな若者による反対運動をたまたまFacebookで見て、興味を持ったのが、当時中学生で15歳だった周庭さん。

庭(アグネス・チョウ)
香港生まれ香港育ちの22歳。
香港バプテスト大学の4年生。
日本のアニメが好きなことから、日本文化や語学に興味を持ち、日本語を流暢に話すことができる。

周庭さんはすぐさま国民教育反対運動をしていた学民思潮と呼ばれる学生団体のメンバーになり、デモ活動に参加しました。

2014年、全人代が2017年の行政長官選挙に民主派(香港を守る考え方)の立候補の制限を掛けたことに端を発し、学民思潮のメンバーなど若者たちが授業をボイコットし、真の普通選挙を求める反政府デモを展開させました。
周庭さんはそのデモの中心メンバーの1人となります。

何日も続くデモはその後、警察による催涙弾の投下などによる強制排除で退散を余儀なくされることになりました。
この催涙弾投下の際、人々が傘を持って応戦したことから、これらのデモは雨傘運動(Umbrella Movement)と呼ばれることになります。これ以降民主化運動のシンボルとして黄色い傘が用いられます。

そもそも香港行政長官という役職は香港を愛し、香港のために尽力してくれる人が選ばれます。それが中国本国によって制限されてしまうと、愛香港より親中国の色が強くなってしまい、自分たちにとって不利な政策を受け入れてしまうことになりかねません。

この雨傘運動の警察による鎮圧は世界中のメディアでも取り上げられ、とりわけ外国に住む中国人から「天安門事件の再来だ」とも言われました。

しかしながら、3か月近く続いたこれらのデモは強制排除により退散することになり、政治制度は何ひとつ変わりませんでした。

2016年、周庭さんは学民思潮のほかのメンバーと、「民主自決」をテーマとした新党「香港眾志(デモシスト)」を立ち上げます。

香港の立法会(香港の国会)議員選挙は21歳から立候補でき、香港眾志はメンバーのうち当時21歳だった羅冠聰(ネイサン・ロー)さんを議員候補に擁立します。
周庭さんら香港眾志のメンバーは、毎日2~3時間睡眠の中、3~4回の街宣活動をし、チラシ配布やSNS発信を行い続け、羅冠聰さんは無事当選を果たしました。

しかし、全人代から指令を受けた香港政府は当選した羅冠聰さんを含む民主派議員6人について公職資格を剥奪しました
その理由は、当選時に行う「宣誓」が故意にされたから、というもの。
それらは香港基本法(香港の憲法)には一切記述がなく、全人代による勝手な解釈による判断でした。
(ちなみにこの頃、香港メディアはこれらの資格剥奪を英語のdisqualifyからDQと呼び、以降の香港市民にとって日常的に使われる用語となっています。)

香港政府はその後も香港眾志を含む民主派による出馬を無効とし続けます。
香港眾志の「民主自決」が香港基本法に抵触する、という言い分ですが、最初の出馬時にそのようなことは言われていませんでした。
つまり、これらは「法」によるものではなく「政治」による判断でした

そのため、2018年に周庭さんが21歳になった際も、同様に出馬できなかったのです。周庭さんの出馬無効のニュースは香港内だけでなく、アメリカ、イギリス、EUなどのメディアでも取り上げられました。

2018年10月、香港外国記者クラブに所属するフィナンシャル・タイムズ編集者で独立派を支援していたビクター・マレットさんのワーキングビザが発行停止(更新不可)となりました。
香港では今、このような報道の自由、出入国の自由が脅かされそうになっています。
将来、他の国際メディア記者も同じようなことにあう可能性が高いそうです。

香港政府は、香港独立の主張について、上記のような締め出しを行ったり、基本法違反として活動禁止令をだすようになりました。
香港から自由と権利が失われようとしています。

現在、かつての大規模デモを行った、若者を中心とした民主化への意欲は、雨傘運動による無力感から下火になりつつあります。

最近、香港政府の英語によるWebページで、返還に関する項目が、「handover」から「Return to the Motherland」に変わりました。
これは香港の立ち位置が中国に内包された地域、と感じ取れる内容です。

香港眾志など若者による政治組織は危機感を強く抱き、今も香港の市民や外国に向けた訴求を行い続けています。

今回の周庭さんの講演で感じたことは、ここ数年で香港の位置関係が大きく変わってしまったということ。
中国からの圧力が日に日に強まり、特別行政区としての香港から、中国の一地域としての香港になってしまっている、ということ。
そこに潜むものは、自由のない世界です。
2047年の一国二制度が終了した香港は、どういう状態になっているのか。
ここに周庭さんは強い危機感を抱いているようでした。

若者ひとりの力は微力かもしれないけど、雨傘運動のようにみんなでまとまれば外国の人に届くメッセージを発信することができた。
若者に届くように、香港の今を知り、応援することがこれからの香港を動かすひとつのキッカケになるかもしれない。
僕はそう思いました。

これからの香港をつくるのは若者たちです。
香港という、世界からすれば小さな一地域に過ぎない小さな問題かもしれないけど、周庭さんたちが行っている行動は大国中国を相手にした命懸けの活動です。
目指すものは自由な香港をつくること。
その信念ひとつで並々ならぬ努力をして、ここまできたのです。

その少女の小さな背中には、母国への想いや強い覚悟が現れているように感じました。

2019.1.5 東京大学大学院 阿古智子准教授主催
【周庭「香港-雨傘運動と現在」】を聞いて。
写真撮影:筆者

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