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日本縦断

 旅を終えて日本に帰ってきた僕は、がむしゃらに動いた。日本各地での講演会、着物の普及、海外での文化交流イベント、そしてこの本の執筆を始めた。
 四度目のサンダンスを終えた翌年の夏、何か日本で出来ないかと考えた。その結果、思いついたのが徒歩での日本縦断だった。海外の土地で血を流し感謝を捧げてきたのだ。日本の土地にしっかりと挨拶をしないと筋が通らない。そして、僕はまだ日本を知らない。自分の足で歩きながら、北から南までしかと見ておくのもいいだろう。そう思い、これまで通りの着物と雪駄で、日本縦断を敢行した。

 北海道の宗谷岬から歩き始め、沖縄の喜屋武岬まで。半年間、ひたすらに歩き続けた。その道のりは厳しいものだった。足は痛くなり、鼻緒で擦れた皮膚は常に剥けていた。バックパックを背負いすぎて、肩から腰まで痛み続け、日焼けで目が開かなくなるほど腫れた。全身蚊に刺され、アブに追い立てられて休むこともできない。テントを張れるところを見つけるのは難しい。雨に打たれて凍え、台風の時には洪水に流されそうになった。歩道のないトンネルは常に事故の危険と隣り合わせ。山道では熊に出会わないように祈り続けた。テントの中で寒くて寝られず朝を迎え、霜が降りて凍ったテントを畳む。川を見つけて体を流し、洗濯をした。警察にもよく話しかけられる。資金はなく、食事も満足にはとれず、どんどん痩せていった。そんな半年間だった。
 それは素晴らしい日々であった。徒歩でなければ見られなかった景色に心を打たれた。多くの人が行く場所も、山奥の道端も、同じくゆっくりと時間を使うことで気がつけたこともたくさんある。多くの素晴らしい人に出会い、無数に助けられた。全国で講演会もやらせてもらえた。日本の中の多様性を学べたのは素晴らしいことであった。これからのことを考える時間もふんだんにあった。そして、北から南まで途切れることなく一歩一歩を踏み出しながら、日本の土地にご挨拶をし、感謝を伝えることができた。それがとても嬉しかった。
 このようにして、僕は日本に帰ってきた。


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