見出し画像

承認欲求 大学生日記#15

一昨日、1社目の内定をもらった。
やはり、合格という言葉をもらうことは嬉しいもの。おそらく、評価されている環境に自分がいるということに酔っているのだと思う。人間というものは所詮、承認欲求と戦っているのだろうなと思う。俺もその一人なのだろう。

"全く人の目を気にしないタイプ"って俺のことを評価をしてくる人もいる(自己評価でも何も気にしていないなって節はある)けど、こうやってNoteを書いて世の中に自分を表現したり、異議を唱えたりするのは間違えなく承認欲求からだろうし、スキ!や閲覧数を稼ぐことができていることに嬉しくなっている。
読者の皆さん、本当にありがとうございます。いつも励みになっています!
本当に他人に興味のない人というのは、俗世から一切を洗い流した人間なのだろうなとつくづく思う。

俺は就活が好きだ。

人から評価をされるから。面接官の中には俺のことをうっとうしく思いながら相槌を打っているような人もいるだろうし、それがほとんどだと思う。それでも形式上は、俺の話を聞かされなければいけないわけで、聞き手になってくれる人がいるということ自体、とてもありがたいものだ。幸い、こんな俺でも選考に進むことができて、取締役だったり執行役員の人と話すことができるときがある。その時には、その人たちから自分の事業計画についてのアドバイスをもらうことができるので、自分の思考をブラッシュアップできる。ブラッシュアップしたいがために、面接を受けているわけではないが、面接に費やす時間や会社への感情の対価として自分へのフィードバックをもらうことができるのは自分にとって、とても貴重経験になるから。経営者と話す機会ってなかなかないし。

世界や視野が広がるから。自分はサッカー界という狭い世界に生きていた人間だ。サッカーについての知見はあるだろうし、人よりは確実にスポーツビジネスについて知っているつもりだ。サッカー界での経験は基本的に負けないはず。しかし、同時にサッカーしか知らない。両親にもよく言われるが、俺は本当に世間を知らない。ニュースすらまともに閲覧しないし、世界がどんな情勢なのかなんて知ったこっちゃない。スマホを開けば、サッカーの動画かサッカーのニュース。本当に世間を知らなすぎる人間。だからこそ、就活を機にいろんな世界を知ることができているのは本当に自分にとって勉強になる機会が多い。

そして何より、自分の承認欲求が満たされるから。マズローの5段階欲求において4番目に来る承認欲求。そう考えると、自分って生理的欲求や安全の欲求、社会的欲求は満たされているのだろうなと感じる。これらは、まぎれもなく外的要因であるからこそ、自分は周りの人に恵まれているのだろうなと思うし、だからこそ周囲には感謝をし続けなければならないのだろうなと思う。一方で、内的要因である承認欲求と自己実現欲求が全くもって満たされていなのだろうなと感じる。これらが満たされることによって、生きるという活動にモチベーションがわいてくるのではないか。と考えると、俺はまだモチベーションが湧いていない状況なのだろう。
まあ、5段階欲求の話は置いておいて、就活の面接やESを書いて合格や通過という結果を頂けることによって自分自身が社会的に価値のある人間として認められたという感情になる。周りの人には中々、聞きづらく、自分自身では判断できない「本当に俺は必要?」という問いに対してしっかりと〇か✗の二択で回答してくれるのが就活だ。だからこそ、〇がもらえることで自分の生きる活力となっていくわけだ。

自分としては、『嫌われる勇気』でだいぶ啓発されたというか、承認欲求を消し去ったと思っていたがそうではないらしい。結局のところ、人間は人間である以上、承認欲求を満たさなければならないのだろう。承認欲求を満たすためにも、人に嫌われないように努力をし、上っ面だけでコミュニケーションをとる。人に良い印象を与えたいからこそ、自分の意見を主張なんてしないし、そもそも意見を持とうとしない。自分としてはそれが退屈で、議論をして自分をブラッシュアップをしたいと考えている。何のために人に承認されるべきなのかはよくわからないが、俺も結局は承認欲求まみれの人間であることが客観視することで分かる。

まあ、それを人間の性というならそれまでだけど、そんな簡単に済ませてはならない問題な気もする。自己実現のためにも、あえて自分の承認欲求の限度を下げることで満たすことが必要かもしれない。

もっと人のことを気にしないで生きていこう。
よし、今日も就活就活♪



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?