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せっかくだから書いてみよっと 留学日記#0

皆さん、こんにちは。ウィーンが寒過ぎて最近外ではメガネしか出してない留学生です。せっかくなので、これまでの留学の簡単な振り返りや留学を通して感じたことを書いていこうと思います。
と、言っても8月頭からになってしまい広すぎるので今回はエピソード0として自分の留学に至る経緯等について書いていこうと思います。


ウィーンに留学しているワケ

僕は将来的にケルン体育大学というドイツのSporthochschule(日本語訳が思い浮かびませんでした…)の大学院に入学したいなと考えていました。そのためにも、ドイツ語を習得するというのが今回の留学の大きな目的です。
大学院には、ドイツ語と英語のコースがあり、入学願書を書く際の必要書類提出に語学の証明書の提出も義務づけられています。
ドイツ語と英語の選択肢がある中で、僕自身英語がそこまでできないというのと英語の求められる水準が高いこと、そして何より競争率が高いということから消去法でドイツ語を学ぶに至りました。(ドイツ語の競争相手がドイツ語を母国語として話す人になることにはなるので、競争が厳しいことには変わりがないです。)
留学生がドイツ語のコースで大学院の受験資格を満たすためには、C1相当の資格あるいは、大学の設けるドイツ語試験合格が決められています。
C1とは専門用語が出てくるレベルなので、まあ難しいです。日本語ですら専門用語で知らないものがあるので、それと同じレベルですよね。かなり単語はきついです笑

当初は留学する気なかったし、ドイツ語も壊滅的だったよって話

ちょっと脱線しますが、留学するという気はなかったって話と、僕とドイツ語の出会いについて話していこうと思います。

まずは、留学する気なかったって話から。
僕自身、大学1年生の頃は、ぬるま湯に浸かって人生を終えたいと思っていたし一人暮らしは嫌だし、海外というよくわからない治安も良くなさそうな地に住みたいも思っていなかったし、みんな自分よりもデカいような世界にも住みたくなかったし、飛行機とかいう墜落したら死を意味するとても怖い乗り物に乗りたいとも思っていませんでした。
中学や高校時代から両親、特に母親から留学は行くべきということを言い聞かされていましたが、「留学どうだ?」と聞かれるたびに「絶対嫌です!」と断言していたことを覚えています。(留学を勧めてくれるほど環境に恵まれていることにはもちろん感謝していますし、両親には本当に頭が上がりません。)
自分がそれでも海外志向になったのには、ある出来事があります。
自分の携わっている中学生のチームと都内のとあるチームが対戦した時、対戦相手の監督が選手に怒鳴り続け、また選手をバカにし続けていました。結果、選手はそこまで楽しそうな顔をしていなかったのが今でも脳裏に焼き付いています。しかも、その監督、チームの代表なんだから驚きです。
その瞬間、僕は心の中でなぜかは分かりませんが
「日本にいてはダメだ、海外でサッカーを学んで日本のサッカーを、特にサッカーの根幹である育成を変えたい。」
そう思うようになりました。そのチームの監督さんには感謝したい反面、1学年30人単位の選手がサッカー人生を棒に振っているような気がして悲しくなってしまいました。そのような育成環境を変えるためにも、海外でサッカーを学び、日本サッカーに還元したいと思いました。

次にドイツ語との出会いについて。
大学院や留学といった選択肢を持っていなかった大学1年生の頃、必修の第2外国語選択で大好きなドイツサッカーを知るため、特にKicker紙とBild紙を原文のまま読んでみたいという好奇心から、ドイツ語を学習しようと意気込んでいました。これが初めての出会いでした。しかし、文法の難しさや新しい言語を学ぶという壁に直面したことから、ドイツ語の習得を放棄していました。そして、オンラインだったことも重なりテストはカンニングしまくり。マジで、レベルの低い大学1年生でした。
だからこそ、去年の今頃ドイツ語学習を本気で始めようと思った時(これが自分の中では2回目の出会いだと思っています。)にはドイツ語の知識なんてものは一切なく、A1.1というドン底レベルでした。
A1.1は語学教室の見極めテストで受けたものだったのでかなり正確なレベルだったと思います。本当にドイツ語は留学できるレベルとは到底言えないものでした。
まあ、何て言えばいいんですかね。そのレベルの人間でも条件さえそろっていえば留学はできます。

ドイツ語を学ぼうと思ったワケ

そんな僕がドイツ語を学ぼうと思った経緯、つまりケルン体育大学を目指そうと思った経緯として大きいのはチームケルンの存在です。
チームケルンとは簡単に言うと、W杯の2年前から組織され、W杯ドイツ代表の分析サポートをするチームです。そこでは、分析のイロハはもちろん、サッカーに関する様々なことを学ぶことができます。そのチームケルンはケルン体育大学生と指導者や分析官によって組織されるので、大学院生であることはチームケルンへの入団への近道になるはずです。
とは言っても、自分の入学できる年は早くても24年ではないのでチームケルンに参加するためには2028年まで待たなければならないです。この時点で、チームケルンに参加することが難しいことは分かりましたが、欧州で1の体育大学、かつドイツという自分の憧れの地で学習できることを考えるとチームケルンに参加しなくともヨーロッパの最前線でサッカーを学べるはずだと思いました。というわけで、チームケルンをきっかけに知ったケルン体育大学の大学院に入学したいと去年の今頃から漠然と思い始めました。自分がドイツサッカー大好き人間であったこともあり、そうと決めた瞬間からいろいろなことをしたのを覚えています。

留学と自分が接点を持ったワケ

そうと決まれば、話は早くドイツ語の先生で学部の教授にドイツ語の上達に必要なことを質問しに研究室まで行き、親には語学教室に行くことを相談しに行きました。
この時、快く相談に乗ってくれた教授にも語学教室に行くことを容認してくれた両親にも頭が上がりません。
※この時には、まだ大学在学中に留学するという選択肢を念頭に置いてはいませんでした。

自分の学部には幸いドイツ語学研修のプログラムがあり、教授にはそのプログラムに参加して海外の生活に慣れることやドイツ語圏で生活してみることの重要性を説かれました(おそらく、やる気に満ち溢れた希望者がいなかったので、僕が教授を訪ねた時に留学させることを決めていただいたのだと思います)。

教授には、なるべく長くドイツ語圏に滞在するように言われたので、様々な工夫をしてくださり、ドイツのテュービンゲンに滞在するプログラムと併用してオーストリアのウィーンに語学留学をすることになりました。

憧れのドイツではなくてウィーンに留学を決意したワケ

留学するにあたって、僕自身2つの条件がありました。
1つ目が、ストレートでの卒業ができること。2つ目が、全額給付の奨学金を受け取ることができることでした。
ストレートでの卒業にこだわる要因は、浪人をしたことと、できるだけ早く海外の大学院へ進学したいということの2つでした。
僕自身、浪人を経験して周りと比べると1年、社会に出るのが遅くなってしまいます。そんな自分がさらに休学して1年卒業を遅らせようものなら、両親にも迷惑をかけてしまいますし、何より自分の可能性や選択肢を狭めてしまうのではないかと思っていまいました。また、大学をできるだけ早く終えることで大学院への入学が早まります。自分の学びたい学問と交換留学先の大学で学ぶことができる学問を比較したときに、交換留学先には自分の満足できるような環境がなかったためドイツへの交換留学はあきらめなければならなくなりました。
もう一つは、奨学金の有無について。これは明らかに自分にとって大きな要因になっていました。
僕の通っている大学は交換留学だと奨学金が豊富ではないため、両親への迷惑も考えて自分の学部にあるプログラムの方が参加しやすかったです。
そこまで、ぶっちゃけた話はできませんが、他の交換留学の大学生と比べると、めちゃくちゃ多額の支援を大学から受けているということに関しては否定できません(政府系の奨学金程は、お金をもらっていません)。

まあそんなこんなで結果、サッカーの国であり自分の目的地のドイツに留学するのではなく、サッカーが有名でないウィーンに語学留学することになりました。

ここまでが僕の留学するに至った経緯です。

いつもご愛読ありがとうございます。
今後しばらくは留学に関して書いていこうと思うので、留学に少しでも興味があるよという方は引き続きご愛読いただければと思います。

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