僕が入社した会社って、こんなところだったよ

こんにちは。
堀谷健斗です。

今日は僕が大学を卒業してから【入社】した、会社について書いていこうと思います。

僕が入社した会社はいわゆる「ブラック企業」というものです。
ひと昔前に流行後大賞でノミネートもされていましたよね。

私は2011年のリーマンショックという、未曽有の金融危機の直前に
大学を卒業し、某企業に【入社】しました。
その時は末に就職氷河期と呼ばれている時期で、ゼミやサークルの先輩も
そして私の周りも、就職活動というものが、とても厳しいものであったことを記憶しています。

さて、私がなぜこの企業に【入社】してしまったのか、それは別の機会に書くとして、
本日はこの企業「以下A社」の実体について、書いていこうと思います。

・雇用形態について
・業務内容について
・賃金について

ということで、早速書いていきます!

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・雇用形態について


ここまで私は【入社】という単語を使用してきましたが、明確に正社員で雇用されているわけではありませんでした。
かといって契約社員でも、派遣でも、アルバイトでもありません。

 個人事業主
 
これが私とA社で結ばれている契約でした。

個人事業主とは簡単にいうと「フリーランス」です。
もっと簡単にいうと、「堀谷健斗」っていう会社がA社から仕事を
頂いて、自分で仕事をしているって状態なんです。

雇用保険はありませんし、有休や福利厚生っていうのも全くない状況でした。
でも年齢は22歳。ピチピチのフレッシュなやる気あふれる新卒社員。
雇用保険や有休、福利厚生なんてあんまり気にしてはいませんでした。

しかし、もっと深刻な問題が出てきます。
それが業務内容、賃金です。

・業務内容について


A社はベンチャー企業でした。
会社の利益になることはなんでもやります。
家電量販店への派遣から、エ〇サイトの運営、大手IT企業への派遣等です。
業務形態の中でも多くを占めていたのは、当時は圧倒的に「派遣業」でした。

派遣と言っても一次請けではなく、2次請けが圧倒的です。
私たちは「フリーランス」としてA社と契約しているので、
発注先からしてみると、3次請けの状況でした。

私は某IT企業へ派遣の派遣として勤務先が決定されました。

現場には自社の人間は一人もいませんでした。
また新卒でしたのでメールの書き方や、名刺交換すらしたことありませんでした。

そんな知識で研修もないままの勤務は、最初は孤独で辛かった思い出しかありません。

・賃金について


さて、私は「フリーランス」としてA社で働いていました。
ここでもらえる賃金(給与)は、手取りで約16万円です。

なんだ、新卒の手取りとしては普通じゃんと思われがちなんですが、
これ、総額なんです。

サラリーマンでは総支給として給与をもらい、
そこから所得税、住民税、社会保険、厚生年金、その他諸々の諸経費が引かれて
手取りの給与が振り込まれます。

私は諸経費も何も引かれることなく、総額として約16万円の給与が振り込まれる
こととなっていました。

国民年金や、健康保険料、住民税は自分で払わなければなりませんし、
会社までの交通費も、自分のお金で払わなければならない状況でした。

ちなみにこの約16万という金額には「残業代」、「諸手当」も含まれています。
月に300時間を超過する時期もありましたし、夜勤も当然ありましたが、
全て含まれた金額でした。

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私はA社で約3年勤務しました。
当然すさんだ生活になっていましたが、何故当時抜け出せることができなかったのか、
またどうやって抜けだすことができたのか。

詳細につきましては、また別途書いていこうと思います。

しかし書いてみると思うことは、A社を悪く言いたいわけじゃないんだなということです。


ブラック企業に入社してから、様々な出会いや学びが多くありました。
それはとても貴重な人生経験だと考えているからです。

企業に属して働くということは、時に不自由で理不尽で、辛いことが大半です。
でも、振り返ってみると青春時代のように懐かしい気持ちが出てくるのです。

一生懸命に生きていた時期を、このnoteを使って、徐々に書いていけたらいいなと思います。

#ブラック企業 #就活 #転職

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