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He is Damo Suzuki

2月9日にDamo Suzukiが亡くなった。会った事も無ければ、ついにライブも観ることも出来なかったが、常にぼくの好きなボーカリストであった彼の死は、どこか喪失感をもたらすものであった。
Damoさんは、常に今と先を見据え声を出し音を作っていたミュージシャンなので、過去の功績よりも直近でしてきたことが大事で、映像や音源で体験できる即興的な歌唱は、野生動物が身体を動かし世界を変えていくような色気と気迫に包まれていたが、ぼくはやはりCANでのDamoさんの事を強烈に思ってしまう。

CANを初めて聴いたのは、2005年の夏だと思う。
なぜハッキリと記憶しているかと言えばこの年にCANのCDが紙ジャケで再発されたからで、渋谷の現在IKEAになっている所で営業していたHMVでCDを手にとった記憶があるからだ。
その前にPublic Image Ltd.の音楽にハマっていたぼくは、John Lydonがシンガーとしての影響元としてYoko OnoやDamo Suzukiの名前を挙げていた事と、PiLのサウンドをCANと並べていた記述を読んだ事で、この日本人シンガーが在籍するドイツのグループへの興味が湧いたのだ。

最初に手に入れたアルバムは、Future Days。帯に記載されていた「空気よりも軽い唯一の音楽」という一文が強烈に頭にこびりつく。
それまで好きであったLed ZeppelinやHumble Pieの様なヘヴィーなブルースロックバンドはいかに重たいノリが重要かという風に聴いていたので、空気よりも軽いという一文が非常に印象に残った。
アルバム一曲目のFuture Daysからその軽さの心地よさにハマったぼくは、このアンビエント具合とそれまで憧れていたサイケデリックさが自分の中で合致した様な気がした。

続いて遡る様に前作Ege Bamyasiを手にいてれ聴いたわけだけども、冒頭からOn The Cornerの頃のMiles Davisと変わらない混沌と喧しさにくらくらした。
しかしながらFuture Daysよりもわかりやすいポップさを持ったこのアルバムは、Vitamin CやI'm So Greenといった漂白されたファンクといえる曲が、また心地よいのであった。

アンビエント的なアプローチ、混沌のビートが組み合わさる曲、ポップな曲、どれもCANはルーツごった煮または、ルーツ不鮮明という演奏でシームレスに表現しているのだけども、その上に変幻自在、自由と今の表現で声を載せていたのが、Damo Suzukiというシンガーだ。
歌う事形に囚われない事、英語、ドイツ語、日本語、言語にも囚われず、ビートとグルーヴに言葉を乗せる姿そのものである。

Damoさんが入る前、脱退後のCANの音楽も刺激的で、どこにも属さず全てを取り込む様な音楽は、アヴァンギャルドな匂いもしつつポップヒットも生み出すという事を両立させていた。
いや、Damoさん在籍時のMother Skyだってイエジー・スコリモフスキ監督の映画「早春」でロンドンのクラブでフロアを沸かす様なヒップな音楽として取り上げられたではないか。

日本で生まれ海外へ飛び出して行く人、ミュージシャンだけでなく、スポーツ選手でもビジネスマンでも同じだけど、Damoはポップ芸術というフィールドで戦後早い時期に海外へ出て歌を歌っていた人だろう。
日本人で、日本から、という言葉に意味はないと思っているけども、何もない状況から放浪し路上で歌を歌いバンドに加入し1つの時代を作ったDamoさんは偉大な芸術家だと思う。
だからではないが、ぼくはイギリスへ留学する際、経由のフランクフルトへの行きの飛行機、上空1万2,000mの機内でFuture DaysとEge Bamyasiを聴いて過ごした、それは不確かな将来とまだ見ぬ風景を見聞きし生きて行くための先人からの光の様だと思ったし、空気よりも軽い音楽は空気の様に存在し背中を押してくれ最良のサウンドトラックとなった。
(勢い余ってプラカップの水を隣の席の大柄のドイツ人男性に溢してしまったのも思い出だ。)

デザインを作る時、音楽をやる時、常に伝統と革新を両立させる事へ面白味を持って取り組めるのはCANの様な音楽を知っているからだろう。
これからもDamoさんが表現してきた事を見つつ、歩めたらと思う。

余談。
常にバンドや音楽をやる時に伝統的なものと違うものの両立を考えているのですが、直接的にDamoさんやCANの影響を出したのはここ数年で、Kentieというバンドの初期メンバーの時にVitamin Cをライブで一番最後の曲として演奏していた。

ぼくらは、様々な音楽を取り入れ、マニアックに音楽を聴いて理論的に分析しても、決して本格的に再現するのではなく、遊ぶ様に胡散臭さを目指した。
その胡散臭さは各々の人間味であり、誰のものでもない自分自身なのである。
そしてその胡散臭いものが、全くの嘘なのか本物なのかは、時間が経つ事で解ると思います。

しかしPinchの冒頭のうめき声。ショーケンと同じくらいの色気だね。

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