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松村雄策さんの事。

 松村雄策さんの訃報を知った。
氏の事を熱心にこまめに追っていた訳では無いので病気をしていたとか、現状の活動とか一切知らなかったのだけど、この訃報に対し、ちょっとだけ心にズシンとくる様な何かがあったので、筆を取ってみた。

 国立の小学校に通っていた私は、色々あって内部進学をせずに公立、区立の地元の中学に入学した。2歳下の弟は区立の小学校へ通っており、弟の友達の兄貴なんかと同級生になった訳だけど、電車やバスに乗り継ぎ学校へ通い休日には子供だけで渋谷へ電車で遊びに行き映画を観たり、遊んだりと地元以外の社会と子供ながらに些細にも関わりを持ち、同じ様な境遇の同級生と過ごしてきたのに比べ、地元で全てが完結し電車に子供だけで乗る事が大きな事件の様に思っている同級生の幼さや文化的な話の合わなさに中学入学初日から学校が嫌で仕方がなく、憂鬱かつ前述の通りスノッブを拗らせた嫌なやつだったので友達も作らず毎日を鬱々としていた私は、正に典型的に10代前半の時期をサッカーを部活ではないクラブでプレーする事とロックを聴くこと、映画を観ることで、自分を救っていた13歳。もうちょっと後にギターを弾き始めたりするのだけど、この頃猛烈にビートルズが好きになり、Let It Beのジャケットが印刷された下敷きを持って学校へ行ってた。それを見つけた同級生の斎藤君が「ビートルズ好きなの?」と声をかけてきた。

 それまであまり話をしてなかった同級生の一人だっだけども彼がビートルズを好きという事が判り、そこから大変仲良くなり中学で唯一の友達が出来た。その頃ビートルズを中心にクイーンやレッド・ツェッペリン、キッスちょっとだけローリング・ストーンズみたいに音楽を聴いていて、その自分の生きる時代の音楽ではなく時代と関係ないロック・レジェンドを聴き溺れる事が、面白くない日常への反抗だったし、ギターでその様なロックを弾く事が物凄くカッコイイ事だと思っていた。正に中二病。

 斎藤くんとは頻繁にお互いの家を行き来しサッカークラブがない時は、ほぼ毎日の様に遊んでいたのだけど、彼の家には沢山のロックのレコードや映像、本が沢山あり、特に映像を観るのが楽しかった。スタイル・カウンシルやゲイリー・ニューマンなんて今思えばニューウェーブの音楽も年代に関わらず楽しんでおり、正に洋楽派という感じで音楽を聴いていた。何しろ、サウンドや映像に飢えていたので何でも楽しかった。モッズとかパンクとか余計なサブカルチャー要素は「洋楽派」位で色んな音楽を楽しめた美しい時代だったと思う。

 なぜ彼の家には素晴らしいレコードや映像があったのか、それはご両親が音楽好きであったのもそうだし、お父様がロッキング・オンの創設メンバーのフォトグラファー斎藤陽一氏であったのも大きかったのでしょう。(斎藤氏がロッキング・オン社から78年にリリースした素晴らしい写真集は必見です。本の写真を弊noteに掲載しようと思ったど、斎藤氏ご本人からデットストックを頂いた本自体は実家に置いてあるはずなので残念ながら未掲載です。そして松村さんのLPのジャケット写真も担当。)

 そんな流れでロッキング・オン贔屓となり、ちょうど創刊30周年を当時迎えロッキング・オンを情報源の一つとして購入にし10代過ごし、高校に上がりバイト始めてからはプレイヤー誌、ギタマガも買いつつRO誌も買ってたけど、よくお金持ってたな。

 様々なライターが熱くロックを評論しアーティストのインタビューの熱を読者として楽しんでる中、松村さんはロッキング・オン誌を創刊させた人達の1人でビートルズを中心とする音楽に精通する文筆家で、評論家というよりは思った事を書き綴る人という印象を持っていました。

 その中でも渋谷陽一氏との対談連載や、松村さんのコラムは印象強く残っており、今肩の力が全く入ってない大人のぼやきの様な会話が好きなのも渋松対談の影響があるでしょうし、ビートルズへの語り口と並び早川義夫さんの事が心にいつまでも残ってしまうのも松村さんのコラムの影響でしょう。文章を綴る上でも何か影響があるかもしれません。

 私が斎藤くんの家に遊びに行った時に「松村さんの対談とかコラム面白いっすよー」と言ったら斎藤君のお母様は「小太りハゲの酔っ払いのおっさんだよ、この前も酔っぱらってソコに座ってたよ。」と笑いながら話してくれたのもあり、会った事もないのに知り合いの様な気でいたりしてましたよ。

 そして音楽家としての松村さんですが、ビートルズの影響を大きく受けてるよと斎藤君に借りた松村さんがデビュー前に組んでいたバンド「イターナウ」の自主カセットテープ。中学生当時、私は全く面白がる事が出来なかった。洋楽派気取りの中二病には楽しさをキャッチするチューニングがまだ備わってなかった。今とてもこのテープを聴いてみたいよね。ヤフオク!でとんでもない値段で出品されてますけど。
そんな感じで松村さんの音楽を松村さんが亡くなるまでちゃんと聴いてこなかったけど、オッサンになった今なら解るよ。最高だよ。ニューミュージックとパンク・ニューウェーヴをクロスするスリリングさと朴訥としたヴォーカル最高だよ。
これからも聴き続けるよ。

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 私は松村さんの熱心なファンではないし、氏について語れる事は無いのですが、音楽好きになって一番美しかったと言える時代に言葉や全然解らなかったイターナウのカセットテープ、そしてその存在から近くにいる音楽を語り紹介する偉い人としてリスペクトしていた事を訃報で思い出しました。

謹んでご冥福をお祈りします。

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私は中学生の終わりにザ・フーにハマりモッズ方面へ、斎藤君は彼独自の世界へ進み10代の終わりへ時間が流れる中、別々の高校へ進学した事もあり、グルーヴが合わなくなる事が増え自分が子供だった事もあり上手くコミニュケーションと取ることができず疎遠になってしまった。彼に対して大きなリスペクトを常に持っていたが、あの頃の自分にはそれをちゃんと表現して伝えるには相手への敬意が足らなかった。
だから今まで音楽を聴き続ける中で、あの抑圧され学校が嫌で仕方なかった時期にあの様に音楽を楽しんでいたからこそ自分にとて美しい時代だったのだね。


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