見出し画像

「自己啓発」車は本当に消耗品なのか?50万と500万の車の違い

最近よく後輩から車の購入の相談をよく受けることが多い。

後輩「最近車買おうと思っているんですけど、、自分はA車が本当は乗りたいんだけど、、維持費は高いとかよく聞くし、高いからなんかいい車ないですかね?」

私「ホントはA車が乗りたいんだ、A車なら今のいい値段のあるし、保証のしっかりしているよ。」

後輩「そうなんですか!けど、保険とか高くないですか?あと、修理費とか皆にそんなんのれんってとかよく言われるんですよね。。」

私「保険は基本的に国産と輸入車で比較すると、逆に輸入車の方が安全性や、事故率が低かったりしたり、最近は国産でも安全性は良かったりするけど、国産と輸入は対してかわらないよ」

後輩「そうなんですね、本当はこれかこれが乗りたいんです。」


最近の人はここまでのプロセスがない



どうゆうことかと言うと

1,ほとんどの人が知識がなく、過去に言われた情報を今でも信じていること

2,物事に対して、主観的、悲観的に捉えてしまうこと。
  客観的に第三者目線で見ることが出来ていない人が多い。

その結果、
買ってから他を見てこんな買い方があるんだと後悔することが多いではないでしょうか?


ここで本題
車、50万と500万の違いって何だろう?
車が与えてくれる影響ってなにか?

私は21歳で輸入車を買ったからこそ、車がどんな影響があったのか、知っている。


私は車は時計と一緒だと思っている。

50万円ぐらいの錆びかかっている車に乗れば、気が付いてないだけで服装はジャージでも乗れてしまうし、頭はボサボサ、運転は荒く、言葉遣いもよくないんではないか。車に乗っても何の気分の向上もなければ、何も思わない。。価値観の変化もない、ずっと500万円は高いと思う。

それで、その現状で満足しているならいい。

逆に500万いわゆるいい車ってやつだ、持った時私のすべての価値観が変わったと思う。500万の車になると、もちろん服装も容姿からきおつけるようになった。運転も丁寧になり、車を譲るようになった。毎回その車鵜を乗るたび、頑張ろうと思えるし、カフェで勉強するように、価値観も基準が上がったことにより、500万のものが普通、1000蔓延で高いなーぐらいですべての見方が変わった。


これでも消耗品と考える人も間違ってはいない。

けど、皆車は消耗品と考えているからこそ、運転は荒いし、車の考え方は変わらないと思う。


私「間違ってほしくないのは、無理に買えとは言っていない。もし、月1万円娯楽を我慢すれば乗れるのであれば、我慢して勝った方がいいと思う。みんなが思っている以上に影響はおっきいし、今後悔したら、たぶん次の車を買うときも後悔するし、多分もう買わないよ。人生は1回なんだから好きな車に乗った方がいいと思う。」

後輩は結局、乗りたかった車に乗っています。


共感出来たらコメント待ってます。

ありがとうございます


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?