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6/10 「言語化しすぎ」

何を書こうか。

書くことがない。

ないことはないが、書きたいことがない。

なんだろうか。

やりたいこと、、、。

うん。

今カフェでほうじ茶を飲んでいるが、3回に一回くらい茶葉が喉に引っかかる。嫌だな。

今少し思ったのは、思っていることを書いたり、誰のことも気にせずにこのように文章書くって社会人になったらないだろうなあということ。

やっぱり書きながらあの人にこう思われるだろうなあとか考えてしまうし。

光GENJIって昭和から平成を駆け抜けたアイドルって書いてあるけど、平成も駆け抜けたんだ。驚きだな。

なんか書きながらあまり思っていること、考えていることを書きたくないなあと思う。

それは例えば、光GENJIを見たときにとても儚さを感じるけど、その刹那的な空気感があるから熱狂しやすく、応援したくなるのではないかと言ったこと。

こう言った思考を僕はよくする。分析をするのだ。しかし、これは別に書きたくない。なぜなら。なぜなのかはよくわからないが疲れる。

誰かに向けて分析しているのだと思う。少しわかるのは。自分が本当に思っていることではない。

言語化かもしれない。僕はすぐ言語化する。正直いうと言語化したくない。なぜなら疲れるから。そもそも言語化なんて一人だったらしなくていいのである。別に自分が何を思い、何を感じたのかなんて自由だから。

うん。そうだ。自分は言語化しすぎだ。控えよう。

それは多分悲しきかな、自分を客観的に捉えすぎなのだと思う。

はあ、悲しい。

なぜそれをするのかとかまじどうでもいい。

今日はこんなもんだろうか。書いていたらいろいろわかるものだ。

もっとこう思う、こうしたい、こうなりたいって素直に思おうと思う。

少し涙が出てくる。


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