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神社学的☆本当に神秘的なこと

20代の前半、音楽好きな僕は足しげくライブハウスに出かけていた。来日すれば必ず足を運ぶお気に入りのアーティストもいたりして、奏でる音とともに創り出される世界感に妖しさを感じたり、ステージ上に立ち込める霧の演出などにも神秘的なものを感じ、夢中になっていたことを思いだします。

それから20年以上もたった今、先日、とある舞台を観覧しに行くと、そこでも素晴らしい演出のもと、舞台上は霧の演出に照明の妙があいまって妖しくこの世のものとは思えない空間が創り出されていました。しかし、、、僕は以前のように感動できなかったのです。「ああ、特殊効果をやっているんだな」と、どこか醒めた目で眺めていたいのです。理由は、20代以降の僕が音楽イベントや舞台の経験を重ねたからでも、年を重ねて感性がにぶったからでもなく、重ねる年の中で「本当に神秘的なもの」を知ってしまったから。

たとえば、山中に鎮座するとある神社。けもの道のような山道を登り、ようやくたどり着いた祈りの地で見た雨上がりの光景。霧で包まれた山の中から、すぅっと鳥居が浮かび上がり、雲の切れ間から一筋の光が射す。そこにはこの世のものとは思えないほど幻想的で芸術的な世界が繰り広げられています。あるいは早朝、たちこめる靄の中にぼんやり浮かぶ神社のシルエットに気が付いたときの、何とも清々しい姿かたちに心奪われたり。ともに自然という神さまに心動かされる神秘の瞬間です。

僕はまた神社巡りのなかでも、とくに山の神さまにご挨拶に出向く「登拝(とうはい)」を好んでいます。山の神さまに、手を合わせて拝み祈るために、山に登り始めました。そこで迎えてくれるのは自然が織りなす雄大な神秘。山の険しさ、人間の小さな力では絶対にかなわない自然の大きさを体で感じ、ようやく目的地ある神社や祠、先人たちが繋いできた祈りの地に辿り着くと、おのずと「本当に神秘的なもの」に思いを馳せることになります。
こうした経験を重ねるうちに、音楽ライブのステージや舞台で繰り広げられる様々な演出が「本当に神秘的なもの」を懸命に再現していることに気が付き、いくらお金をかけて霧を作り照明をあてていても、それはどこまでいっても人の演出。山と空と雲が瞬間的に産みだす霧に包まれた神秘的な空間には決してかなわないのです。

八百万の日本の神さまが生きとし生けるものすべてに宿っているならば、僕らの命もとうぜん神さまとともにある。先人たちが大事に繋げてきた命の連鎖である「随神の道(かんながらのみち/神さまとともに生きていく)」そのものだろうと考えます。

僕の、あなたの心に宿る神さまは、自然そのものと共鳴することでキラキラと光輝く命をもたらしてくれるはずです。

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