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言葉はブサイクぐらいがちょうどいい。

「言葉を選びなさい」「発言には気をつけるべき」

というセリフ何回か聞いたことがある。

その時のこととか最近のことを振り返ると「言葉」ってなんのためにあるんだろう。って考える。

正直言って僕は言葉選びが得意ではない。

周りにいる友達にはトゲのない、すんなり入ってくる言葉を使える人がいる。確かに羨ましい。

僕は綺麗に自分の気持ちを言葉で整理できないし、自分の気持ちを誰にでも伝わるように伝えられない。

考えていない訳じゃない。でも言葉はタイムリーなものでその場その場で受け取り方も誰が言うかで感じ方さえも変わる。

「ありがとう。」一つとっても誰に言われるかでその言葉の持つ意味は大きく違ってくるはずだ。

僕の中で言葉は「自分の気持ち、考えを濁すことなくストレートに相手に伝えるためのツール」だと思ってる。

さっきの「言葉を選びなさい」という言葉の言葉尻を捉えるようでわるいが、どんな言葉を使えばいいか、という視点で会話をしている時点で自分の気持ちに若干フィルターがかかって純度100%では無くなってしまう気がする。

就職活動をしていてもよく思う。

面接官の人に聞かれた事、綺麗な言葉を並べて答えられるのは良いのかもしれないけど、言葉を用意してきた感が否めない。

言葉は用意するものじゃなくて自分の内側から出てくるものだと思う。

とっさに言葉が出てくるか出てこないかは今まで生きてきた中で触れてきた言葉の量に比例するだろう。

だからこそ、理路整然と語るより、少しブサイクで、気持ちはまとまってないけど、心の奥底から出てる言葉を話した方がよっぽど人間的で、大好きだ。

僕は自分の気持ちに正直に、言葉はストレートに自分の思ってることを伝えれる人間であり続けたい。ブサイクだって構わない。ブサイクでも人に想いが伝わればそれでいい。

読んでる人の中には僕の意見と違う人もいるだろう、でもそれが普通だと思う。

人には一人一人個性があってみんなが同じ考えな訳がない。むしろそうだとしたらこの世界は面白くない。

今こうやって自分の意見をつらつらと書きなぐれる文化が発達して、本当に、嬉しい。

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