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風神雷神図屏風の系譜

「琳派」と呼ばれる絵師の系譜がありますが、すごいのは師弟関係でないのに、先代の作品を見て感化され、模写を通じて技術や様式を真似ていっていたということ。(例外的に鈴木其一は酒井抱一の弟子)

なので同じ「風神雷神図」という画題で歴代の琳派絵師の作品を比べてみようと思います

まずは俵屋宗達(江戸初期に活躍。生没年不明)
本阿弥光悦とともに琳派の祖の言われます。神なのに人間的なユーモラスな表情が特徴的で、金地の空間をとった構図はそれまでの大和絵にない大胆なものでした。
またこの絵には落款や印章がなく、これを宗達のものと主張したのは尾形光琳だったとか。

俵屋宗達の風神雷神図


尾形光琳(1658年〜1716年)は俵屋宗達を研究していて、
当時この屛風を所蔵していた建仁寺の末寺・妙光寺で宗達の絵を模写して作成したと言います。細部に若干の違いがあるものの、宗達のものとほぼ同じで、雲の描く技法(たらしこみ)も宗達をよく真似ています。それだけ宗達を尊敬していたのでしょう。上の俵屋宗達の作品との違いを探してみましょう。

尾形光琳の風神雷神図


酒井抱一(1761年〜1829年)は光琳の一橋徳川家にあった風神雷神図を模写したと言います。またこの時は宗達画の模写と知らなかったとされ、光琳画の裏面に自身の傑作『夏秋草図屛風』を描きました。抱一画は光琳画にくらべて配置やポーズ、表情に若干違いがあり、どこが違うか探すと面白いです。

酒井抱一の風神雷神図


鈴木其一(1795年〜1858年)は酒井抱一の弟子で、実は抱一と同様に光琳の風神雷神図屏風を見ているらしいのですが、其一は模写させてもらえなかったらしいです。なので光琳の絵図「光琳百図」を“参考”にして書いています。今までの流れとはガラリとかわった鈴木其一の個性が加わった作品になっています。それまでの屏風から襖絵に変更したことも、構図が変わった要因ですね。それでもポーズなどよく似ています

鈴木其一の風神雷神図


自分の画業を進めるにあたって、師匠からの教えだけでなく、先達の作品から独自に学ぶ。これが琳派の系譜を作ってきたという人の繋がりに感銘を受けます。

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