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印象派にまつわる2人の女性画家〜オタサーの姫ではない〜

ルノアール、モネ、など印象派の作品にはたくさんの女性が描かれていますね。その一方で女性が画家になるのは当時は難しかったのです。パリの高等美術学校エコール・デ・ボザールが女子生徒を受け入れたのは1897年であり、それまでは親が金持ちで教養として身につけるか、親が画家で親から教わるかぐらいしか女性が美術を学ぶ機会はありませんでした(他にも修道院で学ぶというほうほうもあるけれど)

印象派にまつわる2人の女性画家を紹介します

1人目は
ベルト・モリゾBerthe Morisot

『すみれの花束をつけたベルト・モリゾ』エドゥアール・マネ

フランス人で、ブールジュでシェール県官吏の子として生まれた「親が金持ち」パターンです。前述のように国の美術学校には行けないのでロココ時代の代表的作家のバルビゾン派のジャン=バティスト・カミーユ・コローに師事して技術を磨きました。その後1868年にモリゾはエドゥアール・マネに出会い、彼のモデルを多く務めるようになります。モリゾはマネの正式な弟子ではないが、マネに絵を教わり、互いに影響を与え合っていたとされます。


モリゾ_ロリアンの小さな港1869
マネ_バルコニー1869 左の女性がモリゾ

モリゾはマネに恋心を抱いていたようだけれども、マネは妻子があったこともあり、二人が結ばれることはありませんでした。弟子になることもなく、そこらへんはマネが一線を超えなかったので、印象派グループの中で姫とかつがれることもなく、最終的にはマネの弟ウジェーヌ・マネと結婚し、1878年に一人娘ジュリーを出産しました。夫婦仲も良かった。モリゾは結婚前も印象派展などに出品し、結婚後は夫や娘を題材にした作品を多く描いています。絵で表現される家族を見つめるモリゾの視点から幸せな家族が伝わってきます。

モリゾ_ワイト島のウジェーヌ・マネ1875
モリゾ_ブージヴァルの庭のウジェーヌ・マネと娘1881

もう1人はメアリー・カサットMary Stevenson Cassatt
この人はアメリカ人で厳密には印象派とは呼べないけれど、印象派の作品を当時世界の芸術マーケットの中心地であったアメリカに紹介しました。
カサットは株の仲買人の父親と銀行家の令嬢である母親の生まれであり、こちらも「親が金持ち」パターン。画家を志望しペンシルベニア美術アカデミーで学ぶのですが、いろいろあって1866年にパリに移ります。後の印象派メンバーになるカミーユ・ピサロの下で学んだこともあり、エドガー・ドガ(この人も印象派)と友人になり、ドガに印象派展に参加を勧められて出品します。


カサット_「ル・フィガロ」の読書 1878年

しかし家族の病気の介護があり一度絵を中断しますが、1880年代中頃には再び筆をとり、母と子をモチーフにした作品をつくります。作品を見れば、印象派のタッチではないことはわかります。
カサットは独身で子供がいませんでしたが、カサットの描く母子は親子の愛情に溢れ、僕は一種の神々しさを感じます。僕はキリスト教徒ではないので、本当の聖母子像の意味を実感していてはいないですが、聖母がこの世に現れたら、カサットの描く母子のように見えるのだろうと想像します。

カサット_赤ちゃんを抱く母親1900
カサット_Summertime 1894

カサットは父母だけでなくお兄さんがペンシルバニア鉄道の社長という金持ちでした。そのためアメリカの実業界に顔が効き、自身でも絵を描く一方で、コレクターが増えていたアメリカに印象派を紹介して、印象派を世界のマーケットに広めた功績が大きいです。当時はまだ印象派は主流ではなくてなかなか稼げなかった時に、アメリカというマーケットが開拓できて、印象派が続けられたのでした。

モリゾとカサット2人の女性はオタサーの姫ではなく、しっかりと印象派と関わり、多くの作品を残しています。

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