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3流と1流は、表面上は同じ言動を装う

タイトルにあるぼくの持論、けっこう面白いかなと思って自信を持ってるんだけど、共感する人はいるだろうか。

「3流と1流は、表面上は同じ言動を装う」。

最初にそう思ったのは、高3の夏で、それから4年経つ。

そういう事例をちょこちょこ見かけるだけで、なぜそうなるのかとか、これを知ったからといって急になにかが変わるわけではないんだけど、知っておいて損はない。

高3の夏、ぼくの身になにがあったのかというと、ぼくの高校はまあまあの進学校で、大半の人が東進や創学といった塾に通っていた。

ぼくが所属していた野球部でも、半分以上の人が塾に通っていた。

あれは多分、5月か6月の中間テスト前だったと思う。

テスト前ということで、練習が早く終わり、みなが塾に行こうという話をしていたところ、成績優秀だったA君は「塾に寄らず家に帰る」と言い出したのだ。

みんなは「あの真面目なAが、どうしたんだ!?」みたいになったんだけど、どうやら理由を聞いてみると、「塾だと22時で追い出されて、そこで一回集中が切れちゃうから、家でぶっ通しで夜中までやる」とのこと。

徹夜勉強の是非は一旦置いておいて、このとき、ぼくは「1流と3流は、表面上は同じ行動を装うんだなあ」と思った覚えがある。

結局A君は、塾に通っておらず、得談成績が優秀とも言えななかったB君と一緒に帰った。

真相は定かではないけど、B君は多分、家に帰ってご飯食って眠たくなって終わってはずだ。だから、あんまり成績が芳しくなかったのだろう。

つまり、表面上は1流(=A君)も3流(=B君)も、同じ「家に帰る」という行動をしている。

ただ違うのは、その行動に宿る「意志」だ。

B君はおそらく、「早くご飯食べてゆっくりしたい」がために、家に帰るという行動を選択した。

対してA君は「長時間集中して勉強に取り組む」ために、家に帰るという行動を選択した。

似たような事例は、みなさんの今までの経験であるだろうか。

これを頭の片隅に置いておくメリットは、「クソリプラー」になることを未然に防げるということだ。

1流の人の、一見突拍子もないアイデアや言動に触れたとき、それがぼくたちの理解度キャパを超えていれば、その言動やアイデアを3流とみなして、批判してしまう可能性がある。

ただ、今回の法則を頭に入れておけば、例え理解不能なものに出くわしたときでも、受容度のキャパが大きくなる。

こういったメリットはあるけれど、特にデメリットはなさそうなので、頭の片隅に置いておいてことはオススメ。


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