見出し画像

しゃべる猫、みたいな物語が書きたい

子供にドッキリを仕掛ける番組で忘れられない回がある。

ドッキリを仕掛けられたのは小学校に入学前ぐらいの少女だった。番組への依頼主は少女の母親で、娘が夜にひとりでトイレに行けないことに困っていた。

小さくない一軒家で、トイレは一階ではなく、二階にあった。用を足すには、ひとりで階段をあがり、暗い廊下を歩かなければならない。少女は怖くて母親がそばにいないといつもトイレに行けない。少女の名前は、アカリちゃんだったと思う。

その家族は猫を飼っていた。名前を仮にマーロウとしておく。番組には物語の力を信じている人がいたのだろう、マーロウにアカリちゃんを説得させるドッキリを考えた。

まずアカリちゃん以外の家族は何か用事をでっちあげて外出する。ひとりで留守番をするアカリちゃんの前で、首輪に小型マイクをつけたマーロウが突然喋りだす、という筋書きだ。

「アカリちゃん、いつも世話をしてくれてありがとう」
「え? マーロウしゃべれるの?」
「いまはどうやら喋ることができるみたいだ」
「マーロウあのね」しばらく佇んだアカリちゃんは現実を信じて、身の回りのことをうれしそうに話す。
「夜にひとりでトイレに行けないのだろう。廊下が怖くて」
「うん」
「でもボクは知っているんだ。アカリちゃんがほんとうはひとりでトイレに行けるほど勇気を持っていることを。大丈夫。ボクを信じて」
「うん、、、」
「ボクと約束してほしい。ひとりでトイレに行けることを。なぜならボクはアカリちゃんを信じているから」

しばらくして家族が帰ってくる。「お母さんあのね、マーロウがね、しゃべったんだよ!」とアカリちゃんはうれしそうに言葉が追いつかないくらい一生懸命に母親に伝える。しかしもうマーロウは喋らない。母親は少女の話を信じない。そして魔法は閉じられる。

そしてアカリちゃんはその日からひとりで夜にトイレに行くことができるようになった。

というエピソードが繰り広げられた。

この一連のシーンを見て、「こういう物語を書きたいな」と思った。

1つ目の理由は、少女が物語を経て劇的に変化していることだ。

彼女は得体のしれない暗闇という恐怖に打ち克つことができている。想像力豊かな子供にとっての闇を克服することは容易なことではない。人が美しい瞬間というのはいくつか考えられるが、変化する瞬間というのはとても美しい。決断することで目の色、顔つき、喋り方が変わり行動が変わる。

2つ目の理由は、少女の変化を後押ししたのが正論ではなく、物語それ自体だったこと。

何度も母親に説得されたはずだが、彼女はこれまで変わらなかった。おそらく母親が少女に用意したのは、現実的で常識的で科学的な言葉だったはずだ。「おばけは存在しないの」だとか言って。

しかし彼女が怯えているのは、どうしても想像してしまうおばけのことなのだ。その想像上のおばけは大人の現実の言葉では戦えない。だからマーロウが必要だったのだ。目には目を、想像の闇には想像の光を、ということだ。ここにボクはいたく感動してしまった。彼女を支える想像を生みだした物語自体に。

さて、想像上の闇のようなものは何も子供だけが抱くものではない。思い込み、トラウマ、嫌な感じなんかは大人だって持っている。だから大人には大人の物語が必要になってくるのだろう。

ただ大人にしゃべる猫は通用しない。首輪に小型マイクがあることにすぐ気づいてしまう。だから優れた物語は大人の読者に気付かれないように、大人を子供まで引き戻さないといけない。文体、言葉、リズムなどで読者を魅了する術が求められる。

読者が知らずしらずのうちに、劇的に変化してしまうような物語を書ければいいなと思う。

(了)



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?