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コルクボードに貼っている言葉の話

パソコンの向こう側の壁にコルクボードを掛けている。小説で読んで心に残った一節や自分にかけられた言葉をカードに書いて、そこにピンで留めてある。

小説を書いていて注意がそれたときに、その言葉を読んで自分をキーボードに向かわせるためだった。

村上春樹のエッセイでレイモンド・カーヴァーという作家について言及している箇所で、その作家が壁にお気に入りの言葉をカードに書いて貼っていることを紹介していたから真似してみようと思った。

そのレイモンド・カーヴァーが貼っている言葉はチェーホフのものだ。

、、、やがて突然、すべての物事が彼の中で明確になった

予感に満ちていて素敵な言葉だと思う。だからボクもさっそく同じように壁に貼った。

ボクは短い読書の記憶をぐるっと振り返って、印象的な言葉を思い出して壁に貼った。村上春樹が言及していたレイモンド・カーヴァーの言葉をまず貼った。

結局のところ、ベストを尽くしたという満足感、精一杯働いたというあかし、我々が墓の中にまで持っていけるのはそれだけなのである

自分が心に決めたものは、満足いくまでとことんやらなきゃな、という思いにさせてくれる言葉だ。

村上春樹の小説のなかで、もっとも好きな言葉はこれだ。ダンス・ダンス・ダンスの上巻の一場面。

「踊るんだよ」羊男は言った。
「音楽の鳴っている間はとにかく踊り続けるんだ」

とにかく行動し続けること、立ちすくまないこと、体と心を固めないことが大事だということが伝わってくる。自分ではコントロールの効かないメロディかもしれないけれど、それに合わせて踊るのだ。踊るというのがいい。

この言葉を読み返すたびに、ザ・ハイロウズの「罪と罰」という曲の一節を思い起こす。

正しい道だけを選んで 選んでるうちに日が暮れて
立ち止まったまま動かない 結局何にもやらないなら
有罪 有罪 有罪 重罪

考えすぎずにとりあえず行動しろよ、と彼らの音楽は後押しをしてくれる。ハーモニカもギターもとてもかっこいい。というかこの歌の歌詞はとてもいい!

次は三木清の「人生論ノート」より「幸福について」の論考の一節。

幸福は人格(自分自身を失わないこと)である。ひとが外套を脱ぎ捨てるようにいつでも気楽にほかの幸福は脱ぎすてることのできる者が最も幸福な人である。しかし真の幸福は、彼はこれを捨て去らないし、捨て去ることもできない。彼の幸福は彼の生命体と同じように彼自身と一つのものである。

サマセット・モームの「月と六ペンス」という小説の最後に、みすぼらしい洞窟で視力を失ってまでなお絵を描き続ける画家が出てくる。絵を描くという真の幸福以外の、幸福を脱ぎ捨てている男だ。

おまえはその覚悟で小説を書いているのか、と自問自答したことを思い出す。

最後は、薄井ゆうじという作家の「小説塾」という小説添削サービスを利用した際の、ボクの小説に対する講評から一言。

たわらさんは、もっとすごいぴりりとした感性を感じさせる作品がお書きになれるはずです。

書く能力があっても作品にしないかぎり意味はないが、この言葉を胸に抱えて小説を書いていきたいと思う。

言葉のちからを借りるのはおすすめです。壁に言葉を貼りましょう。

(了)

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