望ましい方向に進んでいる感覚の話
継続するには、ある方向に向っているという感覚があるほうがいいと思うという話です。
学生の頃に、プールの授業で潜水を競うことになった。大会のようなものだった記憶がある。水泳の授業で試しにやってみると、10mくらいしかできなかった。本番では15mくらい泳がないといけない。
はじめて市民体育館という施設を利用した。温水プールがあった。休みの日にせっせと通って練習した。
ぜんぜん上達できなかった。息がまず続かない。なるべく酸素を消費しないようにと願いながら、ゆっくり体を動かして泳いでもすぐに水面に浮き上がってしまった。頭のなかに、酸素ゲージみたいなものが浮かび、それがゼロになってしまうのを気にしてしまうのだ。
何度か練習しているうちに、あることに気づいた。進んでいるという感覚に意識を集中していると、ぐんぐんと潜水で泳げることできた。
手を伸ばし、水を手のひらで包み、体の後方へ流す。そのときに皮膚全体で水の流れを感覚する。少しでも前に進んでいる。そのことを身体感覚として確かめることができる。
頭のなかの酸素ゲージではなく、身体感覚に注目する。そんなふうに泳いでいたら、あっというまに25mを泳ぐことができた。
この経験には、ちょっとした感動を覚えた。進んでいるという感覚を体全体で確かめることができたのならば、遠くに行ける、という事実に感動したのだ。
よくモチベーションの管理に数字を使う。ツイートを積み上げたり、体重を毎日記録したりすることはよくある話だ。
僕も小説を書いているときには、その日に執筆した文字数、総文字数、机に向っていた時間を毎日記録していた。でも、小説執筆のモチベーションにつながったのは、望ましい方向に向っているという、どこか身体感覚に似たようなものだった。
物語の先の場面が浮かぶ。その場面に向って物語が動く予感がする。登場人物たちが会話する。場所を移動する。その場面に向っている、という身体感覚があった。だから毎日小説を書けていたのだと思う。この執筆方法が効果的なのかはわからないけれど。
何かを継続するには、望ましい方向に向っているという感覚が大事なんだと思う。それは数字を積み上げることとは別として、どこか身体感覚をともなっているほうがいいのではないかと思う。
(了)
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