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「スコトン」という語感に惹かれて旅をするのも悪くはない

 礼文島を訪れる動機は「スコトン岬」という脱力感満載の名前とそのスコトン岬が日本「最北限」であり地の果てであるというその二面性に惹かれたからだった。生憎天気予報は雨であったが、3000人程度しか住んでいない礼文島に安価に泊まれるところのない礼文島へ行く日程を変えるということはなかなか難しい。そういう訳から悪天候覚悟で礼文島に上陸した。礼文島には正味1日しかおらず、礼文島の魅力を全て知れた訳ではない。でも僕が旅した場所の中で一番記憶に残る場所だったと横浜に戻って来た今そう感じる。

 朝5時。札幌駅前の快活CLUBを出て、僕は札幌駅にいた。乗る特急は札幌朝7:30発。この2時間半どうしよう。ふと思い立って、僕はその足で北大の正門に向かった。ここの大学に僕はかつて受験し、落ちた。もし、あの時、北大に入っていたら。どんな風な大学生活を送っていただろうか。選ばなかった未来のことなど誰も知ることはない。けど、時間が有り余る今はそれに思いを馳せるのも悪くはない。

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 そして特急「宗谷」に乗る。北海道を旅していると北海道のスケールの大きさが否が応でも分かる。この特急札幌を朝7:30に出ても終着の稚内に着くのが12:40。5時間10分の長旅である。

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5時間10分かけて着いた稚内からさらに2時間フェリーに乗り、礼文島の玄関口香深港に到着したのは16:50だった。札幌を朝7:30に出て9時間と20分。もし僕がお金持ちで飛行機を使ったとしても札幌を朝の9時に出ないとその日じゅうに礼文島に着くことは出来ない。まさに辺境の地だ。

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 「明日の礼文島は雨が降る」と天気予報が言っていたので、日が沈むまで1時間と少しだったが泊まる宿で自転車を借り、香深からほど近い元地海岸(メノウ浜)までやって来た。メノウ浜と言ってもメノウが見当たらない。これでは五色浜と言われながらただの砂浜と化した桂浜と同じじゃないか。するとたまたま地元の親子がメノウを採りに来ながら親子で話をしていた。それによると、かつては大きなメノウが沢山あったのだが、観光客のメノウの採り過ぎでもう大きなメノウはなくなったらしい。それを聞いて少し後ろめたさもありつつ、旅の思い出にと足の小指の爪よりも小さいメノウを1つだけ拾って持ち帰ることにした。

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 礼文島のバスの本数は少ない。一番多い路線でも1日6本。次の日遠足前の子供のように朝5時に目が覚め、余裕を持って6:30のバスに乗り、憧れのスコトン岬へと向かった。こうでもしないと自分の行きたいところに行って、最終のフェリーに乗る、ということができないのだ。いつもは不眠症という名の怠惰で朝5時まで起きていることだってあるのに。でもそれが離島の旅だ。

 スコトン岬は漢字だと「須古屯」と書く。かつては日本の民間人の立ち入れる最北端だとされていたようだが、後に訂正された。そのためからかスコトン岬は日本最北限だと称している。ただスコトン岬は日本「最北端」よりも「最北限」の方が似合う。なぜなら宗谷岬よりスコトン岬の方が「キワ」具合が段違いだからだ。

 宗谷岬に岬の風情はない。なぜなら国道が近くを通るうえ、岬なのに尖った地形ではなく、丸っぽいどこにでもありそうな地形だからだ。たまたまそこが日本最北端であるから、観光名所としてありがたがられてるからであって、実際日本最北端でもなければ見向きもされないだろう。

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 一方スコトン岬はまさに地の果てのような場所である。岬に至る道も最後の500mほどは一本道。その上礼文島は風が強く冷涼な気候だからか、周りには樹木は全くない。強風が吹き荒れ、時として真っ直ぐ歩いて進むのすら容易ではない。まさに地の果てであり、最北限と言わしめるだけの風格がそこにはある。

 7:25。1時間近くバスに乗りスコトン岬に着いた僕は、その景色に、圧倒された。

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 草は風によって横になり、白波が立ち続ける。そして手前で道路が途切れ、階段で降りた先にスコトン岬があり、その沖に島があり、そしてそれ以外の陸地は視界にない。強い風だとしても、長い時間佇むには有り余るほどの魅力がそこにはあった。

 しかし、そこまで長い時間佇むわけには行かなかった。というのも、スコトン岬からトレッキングに出ようとしたからだった。

 礼文島には、いくつかトレッキングのコースがある。そのコース群の中に「岬めぐりコース」というものがある。スコトン岬を起点として、ゴロタ岬、澄海(すかい)岬と巡るトレッキングコースだ。今回そのコースを歩くことになったのだが、ここで礼文島の貧弱なバス事情のせいであまり無駄に時間を使うことは出来ないということになった。そのためスコトン岬には10分程度滞在した後、「岬めぐりコース」を歩き始めた。

 「岬めぐりコース」はトレッキングコースとして整備されているだけ絶景だった。礼文島は海岸段丘の島で平地に乏しい上、先述したように木があまり生えていない(スコトン岬周辺以外には無いわけではない)。外国のような風景だ。「アイスランドってこんな感じなんだろうか」と勝手な妄想を膨らませ歩く。しかしあのスコトン岬のような自分の心に深く突き刺さるような風景ではない。そのためか歩みも自然と早くなり、4時間かかるはずのコースを2時間半で踏破してしまった。

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 澄海岬に着いたとき、最寄りのバス停まで歩いても、バスの時間にはまだ余裕があった。「澄海岬から最寄りのバス停までの間に特に見たいものは無い。だったら、どうすればいいだろう?」そんな考えの中で、ふとスコトン岬が頭の中に出て来た。Google Mapで所要時間を調べると、スコトン岬まで歩いてもバスの時間には余裕がある。
「行ける!」
この瞬間頭にアドレナリンが出て、スコトン岬に行くことしか考えられなくなった。スコトン岬にもう一度行ってみよう。もう一回地の果てを見てみよう。トレッキングして来た足は辛かったが、少し早歩きでスコトン岬までの7kmの道を歩き始めた。

 スコトン岬までの道は朝バスから見た景色そのままの荒れた海と崖崩れを起こさないようにするための工事が至るところに施されている崖に挟まれた心許ない道の連続だ。ただそんなことは黙殺されるほど、スコトン岬が魅力的に思えて仕方がない。だから昨日の自転車とトレッキングのせいか足が少し痛む、けど、歩く。Google Mapに表示される到着予定時刻が1分でも縮まるように少し急ぎ足で、歩く。   

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 澄海岬から1時間と少し歩くと須古屯地区を示す看板が見え、更にそこから歩くとついに道は一本道になる。ウインドブレーカーが音をたてる程にまで風は吹き荒れる。そうしてスコトン岬手前の売店が見える。直にスコトン岬の先のトド島も見えてくる。そうして、僕はスコトン岬にまた舞い戻ってきた。

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 観光客はちらほらはいる。ただ吹く風が強いので、写真を撮ってすぐに近くの売店へと向かう。曇天でフォトジェニックではない。しかしここには曇天や嵐がよく似合う。晴れた日もよい景色が望めるのだろうが(実際コレクションの一環で購入したポストカードのスコトン岬は美しかった)、荒涼とした気候とその先には何もないという地の果て感を演出するには曇天や嵐がよいのだろう。僕は数分スコトン岬に立ち尽くした後、流石に座りたくなったので、近くの売店に入った。

 今回こんな風にくどくどとnoteを書いているのは、この売店でとある人に話しかけられたのが全てだった。その売店で出会ったその人は礼文島に4日間滞在して今日はその3日目だと言っていた。香深へ戻るバスも一緒だったからか、バスの中でも歓談が続いた。話すうちに、旅好きなら自分の経験を文章にしてみたらと言われたので、今回このnoteを書いている。別に必ずしなくちゃいけないことではない。でも、礼文島だけでも書かなきゃなと思って書いた。多分それは、旅という対人関係というしがらみを捨て去った行為で生まれた、新たなしがらみを「楽しむ」というためなのだろう。
……まあ、どうでもいい。売店で食べた昆布ソフトの味が今となっては思い出せない。それだけ。

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 バスで香深に戻り、疲れを取る目的でウニを食べ、風呂に入った。両方とも値段以上の価値はあった。その後、少し船までの時間があったので資料館に入って礼文島の歴史についての展示を見た。これもそれなりに興味深いものだった。ただ、それの内容はよく覚えていない。それはスコトン岬の風景が僕の頭の中でリフレインを続けていたからだ。礼文島を離れて何日も経つ今でもスコトン岬の風景は忘れられない。多分もう二度と忘れられない景色なんだろうな。

 そんなこんなで稚内に戻る最終のフェリーの出る時刻となった。船に乗り込むと、誰も僕のことを見送ってくれるわけでもないのに、デッキに出た。「また来る。いつかきっと、絶対に、また来る。」と決意を固めながら、次第に遠ざかっていく香深の港を見つめていた。

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