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murmuring note no.12(ポストコロナを語るのは時期尚早だが・・・)

新型コロナウイルス危機は、事実上有名無実となっていたポストモダンを強制終了させる。
したがってポストコロナの事態は、有名無実とはいえ、形式的に実効性を有していたポストモダンの突然の切断である。だが、それが形骸化して意識に昇らなければないほど、ポストモダンはアートの世界に浸透して支配してきた。つまり、ポストモダンの公式の見解そのままに歴史は終わった。ということは終わり続ける(はずだった。それは、3.11ですら破壊できなかった幻想の太平天国世界だ)。
ところが、その間に制作された作品の実質は、プレモダンとモダンのアマルガムに乗っ取られていたのである。イデオロギー的には腐って過去回帰に固着したポストモダンに守られた鉄壁の折衷主義作品だった。鉄壁というのは、二つのパラダイムの良いとこ採りの欲張りが生み出すフェイクの「大文字のアート」だからである。
それもこれも、もはやプレモダンやモダンに代わる新規のパラダイムが現れないからである。とはいえポストモダンが言い張るような歴史の終わりではない。時間は流れ続ける。そして、今回のようなカタストロフが介入して制御不可能なショックを与え、歴史の歯車を無理やり動かす。しかも、元はといえば人間が自然を深く侵食して生じさせた数々の異変や破壊が回り回って帰ってきたのである。
さて、この事態にポストコロナ(冒頭の写真のコロナ真っ最中から未来のどこか)は、どう答えるのだろうか? 今かろじて言えることは、この空虚の後で、その前(ポストモダンの殻を被ったプレモダンとモダンのパスティッシュ)には戻れないということである。

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